『岡野弘彦百首』は5月末に増刷予定 出版社から連絡あり  

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『岡野弘彦百首』は5月末に増刷予定 出版社から連絡あり

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『岡野弘彦百首』沢口芙美編 が、アマゾンでも他でも品切れ。
どうしても買いたかったので出版元の本阿弥書店に問い合わせてみましたら、やはり品切れでしたが、5月末に増刷予定だとのことでした。
お知らせ下さってありがたく思いました。

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岡野弘彦「歌を恋うる歌」から

岡野弘彦「歌を恋うる歌」から好きな歌を。

黒人と人麻呂


いづくにか船泊てすらむ安礼の埼こぎたみゆきし棚なし小舟 高市黒人(たけちのくろひと)
荒たへの藤江の裏に鱸(すずき)つる海人とか見らむ旅ゆくわれを 柿本人麻呂

 

昔から日本の海の歌には、はるかな流離のさびしさを感じさせるものが多い。
黒人も人麻呂も長い海辺の旅を続けながら、自分たちよりももっと苦しい境涯でいつ果てるとも知れぬ海上の旅を続けている、名もなき海の旅人のことを心にもって歌っていることに気づかれるであろう。

 


我妹子が見しの鞆(とも)の浦のむろの木は常世にあれど見し人ぞなき


鞆の浦の磯のむろの木見むどとにあひ見し妹は忘らえめやも


家にてもたゆたふ命なみの上にうきてしをれば奥処(おくが)しらずも 
詠み人知らず

 

「奧処」は「奥まったところ、はて」を意味する語で、転じて「行く末、将来」を意味する。

こぎ-た・む 【漕ぎ回む・漕ぎ廻む】(舟で)漕ぎめぐる。

この語は、斎藤茂吉が歌集『あらたま』で「しろがねの雨わたつみに輝(て)りけむり漕ぎたみ遠きふたり舟びと」に用いている。

 

別れの歌

桜の花ちりぢりにしもわかれ行く遠きひとりと君もなりなむ 釈迢空


はろばろとなりゆく人か海棠の花さきそめし庭に別るる 
岡野弘彦

 

岡野は釈迢空の弟子で、師の最期を看取った。師の情緒に共通するのものがあるだろう。

岡野の


これの世にまだ我が知らぬ親ありて野をさすらふと思ふ夕ぐれ 
岡野弘彦

 

というのも挙げておく。

桜の歌


深山木(みやまぎ)のその梢とも見えざりし桜は花にあらはれにけり 
源頼政
ささなみや志賀の都は荒れにしを昔ながらの山桜かな 
行きくれて木の下かげを宿とせば花や今夜(こよひ)の主ならまし 平忠度

 

和泉式部

和泉式部の歌から岡野の引いたもの。
つれづれと空ぞ見らるる思ふ人天降(あまくだ)り来むものならなくに
黒髪の乱れもしらずうち伏せばまづ掻きやりし人ぞ恋しき
あらざらむこの世のほかの思い出にいま一度の逢うこともがな
もの思へば沢の蛍もわが身よりあくがれいづる魂かとぞ見る
奥山にたぎりて落つるたぎつ瀬の魂ちるばかり物な思ひそ

 

岡野弘彦の好きな短歌

岡野弘彦の短歌から好きな歌を引いてみます。

歌集『冬の家族』から

ひたぶるに人を恋ほしみし日の夕べ萩ひとむらに火を放ちゆく
きつね妻(づま)子をおきて去る物語年かはる夜に聞けば身にしむ
心まどひていで来しゆふべ一匹の犬ためらはず街上を行く

 

歌集『天の鶴群』(あめのたづむら)から

ただ一羽ちまたの空をゆく鶴の羽根すき透る夢のごとくに
夜の空をおほひつくして啼き昇る千羽の鶴にめくるめき立つ
啼きしきる夜声ひそかになりゆきてあなさびしもよ霜夜たづがね
真白羽を空につらねてしんしんと雪ふらしこよ天の鶴群

 

歌集『飛天』から

あかときの大島桜ほのぼのと夢のつづきの花ゆれやまぬ
秋雨に窓ぬれてゐる日本の小さき家をとざし出できぬ
いただきに立てる童子をわが呼べばこだまのごとく彼ら答ふる
雪の下に父をうづめて帰りきぬ陽かげりて寒き峡のわが家に




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