石川啄木

『一握の砂』石川啄木のこれだけは読んでおきたい短歌代表作8首

更新日:

『一握の砂』の石川啄木の短歌の代表作にはどのようなものがあるでしょうか。

『一握の砂』から、これだけは読んでおきたい石川啄木の名作を8首選び、わかりやすい現代語訳をつけました。

歌の中の語や文法の解説と共に、歌の解釈・解説を一首ずつ記します。

スポンサーリンク




『一握の砂』石川啄木の短歌とは

『一握の砂』(いちあくのすな)というのは、明治時代の歌人、石川啄木の刊行した歌集の名前です。

石川啄木は結核でわずか27歳で亡くなったので、生前に2冊の歌集しか残しませんでした。

石川啄木『一握の砂』に命名

最初の歌集が、この『一握の砂』、第二歌集が『悲しき玩具』という題名です。

『一握の砂』は啄木の生前中に、啄木自身が命名しました。

一方、第二歌集の『悲しき玩具』は亡くなる間際に啄木が託した歌の原稿を元に、啄木の死後刊行されました。

命名は編纂した啄木の友人が、短歌の中から取ったものです。

これらの歌集は、たった2冊の歌集でありながら、啄木の歌はこれまで人々に愛されて、その名が後世に語り継がれることとなったのです。

・・・

『一握の砂』より石川啄木の代表作品8首

 

『一握の砂』から、特に有名な石川啄木の代表作品を先にあげておきます。

東海の小島の磯の白砂に われ泣きぬれて 蟹とたわむる

頬(ほ)につたふ なみだのごはず 一握の砂を示しし人を忘れず

砂山の砂に腹這ひ 初恋の いたみを遠くおもい出づる日

たはむれに母を背負ひて そのあまり軽き(かろき)に泣きて 三歩あゆまず

はたらけど はたらけど猶(なほ)わが生活(くらし)楽にならざり ぢつと手を見る

不来方のお城の草に寝ころびて空に吸はれし十五の心

ふるさとの訛なつかし 停車場の人ごみの中に そを聴きにゆく

やはらかに柳あをめる 北上(きたかみ)の岸辺(きしべ)目に見ゆ 泣けとごとく

これらの歌はいずれも広く好まれ、愛唱されてきたものです。

この歌一首ずつに、解説と鑑賞を下に示します。

さらに詳しい解説と鑑賞は鑑賞は個別ページにありますので、一首ずつご覧ください。




『一握の砂』代表作 現代語訳付解説と鑑賞

目次の各歌をクリックしてくだされば、解説の箇所へ飛びます。

原文は各短歌が三行に分けて表記されています。スペースの関係で一行で表記するため、改行の箇所は字空けで示します。

 

東海の小島の磯の白砂に われ泣きぬれて 蟹とたわむる

現代語訳
東海の小島の磯の白砂に私は泣き濡れて蟹とたわむれる

「東海の」の歌の解釈と解説

「東海の小島の磯」は、函館の大森浜のイメージが根底にあるとされるが、実際の情景を詠んだものではない。この歌は歌集の最初であり、これから歌を記し始めるにあたって、啄木にとってはそれは「蟹と戯れる」と同等のものであった。

つまり、茫漠とした心境は「東海の小島の磯の白浜」であって、「蟹と戯れる」は短歌を詠むことと言った方がわかりやすい。歌の中にあるものは、実在のものであれ、すべてそのように仮託されたものであるといってよい。

もっと詳しくこの歌について読む:
東海の小島の磯の白砂にわれ泣きぬれて蟹とたはむる/石川啄木『一握の砂』短歌代表作品

 

頬(ほ)につたふ なみだのごはず 一握の砂を示しし人を忘れず

現代語訳
頬につたう涙をぬぐわずに一握の砂を示した人を忘れない

語の意味
「のごふ」・・・「ぬぐう」
示しし・・・「し」は過去の助動詞「き」の連体形

「頬につたふ」の歌の解釈と解説

本歌集題名『一握の砂』と関連があり、自分の作る歌を「一握の砂」とようにはかなくも虚しく悲しいものと考えている。

つまり、歌の中の「人」は啄木自身ともいえます。

もっと詳しくこの歌について読む:
頬につたふ涙のごわず一握の砂を示しし人を忘れず/石川啄木『一握の砂』

 

砂山の砂に腹這ひ 初恋の いたみを遠くおもい出づる日

現代語訳
砂山の砂に腹這い初恋のいたみを遠く思い出す日

「砂山の」の歌の解釈と解説

歌の中に詠われるのは、初恋の美しさではなく「痛み」なのである。

啄木が敗れたのは、結局、憧れに終わった小説という形式で書くことだったのであろう。

恋の歌というも、「初恋」は「小説」のメタファーでもある。

 

たはむれに母を背負ひて そのあまり軽き(かろき)に泣きて 三歩あゆまず

現代語訳
たわむれに母を背負って、その余りの軽さに泣いて三歩も歩むことができない

語句と表現技法

「軽き」は形容詞軽しの名詞形

「そのあまり」は「その、あまりにも」を縮めた言い方だろうと思われる

「たはむれに」の歌の解釈と解説

集中最も有名な歌の一つ。母をふざけておぶってみたら、あまりにも軽いことに気がついて、悲しくなったという心の動きが詠われている。

歌そのものにも脚色はあるだろうが、のちに実際啄木の生活が困窮したのは、両親の扶助も行わなくてはならなかったからだとする説もある。

そういう意味では、「母を背負う」というのは、啄木の実際の生活状況や心理状況とも関連がある。

当初は富裕な寺の住職だった啄木の父は金銭トラブルで寺を出なければならなかったので、一家の生活が啄木の上にかかっており、父母に対する責任や負担もあったのには違いない。

もっとも、その時代、一家におけるの長男というのは、皆そのような立場であった。

もっと詳しくこの歌について読む:
たはむれに母を背負ひてそのあまり軽きに泣きて三歩あゆまず 石川啄木『一握の砂』

 

はたらけど はたらけど猶(なほ)わが生活(くらし)楽にならざり ぢつと手を見る

現代語訳
働いても働いて暮らしが楽になることはない。じっと手を見る

語句と表現技法

「はたらけど」のリフレインと、そのあと「なお」がつく。

552の切迫するリズムを味わいたい。

「はたらけど」の歌の解釈と解説

明治43年家族を東京に呼び寄せることはできたが、生活は相変わらず苦しい。

石川啄木の当時の職は、朝日新聞社の校正係であった。

以下は、この歌に対する若山牧水の評。

初句から4句までこの作者の癖の抽象的に言い下してきて、5句に及んで急に「ぢつと手を見る」とくだけて、病者風に詠んだところに言いがたい重みがあると思う。まったくこの5句には電気のような閃きがある。

この歌についてもっと詳しく読む:
はたらけどはたらけど猶わが生活楽にならざりぢっと手を見る/石川啄木『一握の砂』短歌代表作品

 

友がみなわれよりえらく見ゆる日よ 花を買ひ来きて 妻としたしむ


現代語訳
友人が皆残らず、私よりもえらく見える日よ 花を買ってきて妻と仲良く楽しく過ごそう

語句と表現技法

・2句切れ

・「買ひ来て」は買って来て の複合動詞

「友がみな」の歌の解釈と解説

明治43年作。誰でもが経験する心理ではあるが、啄木はその気持ちの振幅がことに大きかったようである。

誰よりも自分を優れているとする自負心が強かったため、反動の自信喪失も大きかったようだ。

卑屈な心理ではあるが、下句のさわやかさに救われる。

この歌についてもっと詳しく読む:
友がみなわれよりえらく見ゆる日よ花を買ひ来て妻としたしむ/石川啄木

 

不来方(こずかた)のお城の草に寝ころびて 空に吸はれし 十五の心

現代語訳
不来方のお城の草に寝転んで 空に吸われた十五の心

語句と表現技法

不来方(こずかた)の城とは、盛岡城のこと。

「不来方の」の歌の解説

本歌集の代表歌の一つ。「空に吸はれし」の主語は「空」で、受け身として表されているが、この表現でみずみずしく柔軟な少年の心が表されている。

この歌について詳しく読む:
不来方のお城の草に寝ころびて空に吸はれし十五の心 石川啄木『一握の砂』短歌代表作品

 

ふるさとの訛なつかし 停車場の人ごみの中に そを聴きにゆく

現代語訳
故郷の訛りがなつかしい。停車場の人ごみのなかにそれを聴きにいく

句切れと語句

・2句切れ

・「停車場」は駅のこと

・そ・・・それ の代名詞

「ふるさとの訛」の歌の解説

東北線の列車が発着する上野駅の人込みの中に、故郷の訛を聞きに行くとする、その具体的な行為で、思郷の念を表す。

この歌について詳しく読む:
ふるさとの訛なつかし停車場の人ごみの中にそを聴きにゆく/石川啄木『一握の砂』短歌代表作品

 

やはらかに柳あをめる 北上(きたかみ)の岸辺(きしべ)目に見ゆ 泣けとごとくに

現代語訳
柔らかに春の柳が青くなる北上川の岸辺が目に見える。泣けというかのように

句切れと表現技法

・4句切れ

・あをめる・・・青くなるの意味の「青む」の連用形

「やはらかに」の歌の解説

まぶたに浮かぶ故郷の自然を、泣かんばかりに懐かしむ作者の心情を率直に表したもの。

「空に吸われし」と同じように、「吸う」のは空であり、「泣け」というのは「岸辺」である。

自ら誘われる強い情緒を表すのに、対象物の擬人化された表現をとる。

この歌について詳しく読む:
やはらかに柳あをめる北上の岸辺目に見ゆ泣けと如くに/石川啄木表現技法

 

ふるさとの山に向ひて 言ふことなし ふるさとの山はありがたきかな

現代語訳
ふるさとの山は申し分がない。ふるさとの山はありがたいものだよ


句切れと表現技法

・3句切れ
・かな・・・詠嘆の終助詞

「ふるさとの山」の歌の解説

歌集の最初の方は、自嘲的な歌が多かったが、後半にかけて厳粛感が増してきた。

これらの歌の制作は、一晩で行ったと啄木自身が言っているが、他の作品のモチーフに関しては様々な思念が湧いたようだが、「ふるさとの山」に関しては、実際なんの雑念も入る余地がなかった。

啄木にとって、子どもの頃を過ごした故郷とはそういうものであったようで、故郷とそのモチーフが、この歌集『一握の砂』の清涼剤ともなっている。

この頃になると、啄木には、嘘もかけねもなく、いかにも、その心の底にある厳粛感がやさしさに充ちた調子で表現せられてきました--釈迢空の評

この歌について詳しく読む:
ふるさとの山に向ひて言ふことなしふるさとの山はありがたきかな/石川啄木『一握の砂』

ここまでで石川啄木の8首は終了です。

石川啄木の作品をもう少し読みたいときは
石川啄木『一握の砂』の短歌代表作30首解説と鑑賞

逆に、全作品を現代語訳付で通しで読みたいときは

『一握の砂』「我を愛する歌」石川啄木全短歌作品の現代語訳と解説




『一握の砂』の「砂」の指し示すものは何か

『一握の砂』の歌集タイトルについての解説です。

『一握の砂』の一握とは

一握の砂の一握(いちあく)というのは、現代語の「ひとにぎりの」という意味です。

「一握の砂」は手につかんだ、「ひとつかみの砂」ということになります。

「一握の砂を示しし人を忘れず」の歌より

この言葉は、「頬(ほ)につたふ/なみだのごはず/一握の砂を示しし人を忘れず」の歌の中の言葉からとられています。

では、この一握の砂の「砂」というのは何か。それは啄木の短歌のことであると思います。

すると、「一握の砂を示しし人」というのは啄木自身のことです。

この下に山本健吉の解説にもありますが、啄木は元々小説家になりたかったのだが、結局思うような小説は書けなかった。

挫折した啄木は短歌を作るようになったのですが、啄木にとって、短歌はあくまでも小説の代わりであり、つまらないものでしかなかったのです。

たったひとつかみの砂のような短歌--小説で身を立てられず、自分の才の無さに打ちのめされて、毎日を泣くような思いで暮らしていた啄木が、「こんなものしか作れませんでした」といって出している、その歌集が『一握の砂』なのです。

一晩でできた『一握の砂』の120首

「一握の」は「わずかな」という意味もあるのでしょうが、これらの短歌は、実際には、一晩で120首できたことを啄木は自分の日記に記しています。

「頭がすっかり歌になっている。何を見ても何を聞いても皆歌だ。この日夜の二時までに141首作った。父母のことを歌うの歌約40首、泣きながら」

この日記の言葉を見ると、啄木が、6月24日の夜から次の日にかけて歌を作り続けており、高揚した心で実際に「泣きながら」ペンを走らせていたことがわかります。

そう思ってみると「頬(ほ)につたふ/なみだのごはず/一握の砂を示しし人を忘れず」というのは、主語を「人」という誰か第三者のように客観的に描写しながら、実は、啄木自身のこの日の気持ちと様子に緊密に重なっているのです。

 

『一握の砂』にみる石川啄木の短歌の特徴

『一握の砂』にみる石川啄木の短歌の特徴について記します。

以下は、中央公論社の「日本の詩歌」より。

啄木の歌について。著者山本健吉が記したものに、啄木と短歌のかかわりが示されています。

石川啄木にとっての『一握の砂』

啄木の歌はそれまでの短歌と全く違うばかりでなく、同時代の一流歌人たちとの作品とも性質を異にしている。

その違いを簡単に言うと、啄木と同時代の代表的な歌人、北原白秋、斎藤茂吉などは、歌そのものの神聖視の気持ちを失うことはなかった。

歌作は彼らにとっては生命を底に託するような至上の行為であり、遊び心などと縁のない仕事であったのに対し、啄木にとっては歌は遊びに近いものであった。

歌作の中に自分の小説家になろうとしての失敗をあざ笑うような、投げやりな気持ちがあった。短歌が目指された文学上の第一のテーマではなかったのである。

小説から短歌

啄木によると

私は(小説を)ついに書けなかった。その時、ちょうど夫婦喧嘩をして妻に負けた夫が、理由もなく子供を叱ったりいじめたりするような一種の快感を私は勝手気ままに短歌という一つの詩形を酷使することに発見した。

というところを山本は挙げ、さらに

このような、生活の中から拾った感想の断片を無造作に歌の形式に投げ込んだものが、啄木の作歌道であった

啄木の詩から受ける感銘は、生活そのものの中でわれわれの心を去来するところの、瞬間的な人間くさい感銘であって、白秋や茂吉のように和歌や詩の精神そのものの神聖視による、完璧な作品への願望が動機ではない。

そういう意味で啄木は「悲しい玩具」と短歌のことを呼んでいた。

そしてそれが、万人の胸に真なるものとして訴えることとなった。彼の歌がことごとく、どこか投げやりに見え、しかも同時に真実の鏡のように見えるのは、以上のような独自の思想によるものであった。

石川啄木の短歌は、決して啄木自身が欲するものではなかったのです。

しかし、これらの歌が突如啄木の名を世に知らしめることとなりました。

そのため、啄木は歌作を継続、その後に『悲しき玩具』が刊行されたのです。

啄木の名が「砂」であり「玩具」である歌と共に広まった時、啄木は残念ながら世にはいなかったわけですが、これらの作品は永遠に残り続けることでしょう。

『一握の砂』概要

一握の砂は1910年に発表された石川啄木最初の短歌集。

他に、死後刊行された『悲しき玩具』がある。

「我を愛する歌」「煙」「秋風のこころよさに」「忘れがたき人人」「手套を脱ぐ時」の五部構成になっており、生活感のあふれる身近な題材を歌にしたものが多い。







tankakanren

-石川啄木
-

error: Content is protected !!

Copyright© 短歌のこと , 2020 All Rights Reserved Powered by STINGER.