毎日歌壇10月22日号 加藤治郎米川千嘉子伊藤一彦篠弘  

広告 現代短歌

毎日歌壇10月22日号 加藤治郎米川千嘉子伊藤一彦篠弘

2018年10月23日

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こんにちは。まる @marutankaです。
毎日新聞の毎日歌壇から好きな歌を筆写して感想を書いています。
毎日歌壇は朝刊月曜日に掲載。当記事は、10月22日の掲載分です。

毎日歌壇とは

毎日歌壇についての説明です。
「毎日歌壇」とは毎日新聞朝刊の短歌投稿欄です。俳句は「毎日俳壇」です。
新聞の短歌投稿欄は、どの新聞においても、誰でも自由に投稿できます。投稿方法の詳しいことは別記事
「毎日歌壇」とは何か?毎日歌壇の紹介と他誌の短歌投稿方法と応募の宛先住所」
をご覧ください。

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加藤治郎・選

目が覚めてわたしがわたしであることの奇妙を思いつつ歯を磨く 所沢市 神田望

こんな感じがするのはやはり朝なのだろう。歯を磨いて出かけたら、「私」は次第に定められていく。そうなる前の、誰でもない浮遊する感覚がめずらしい。

つり革の一つ一つが揺れていて出会いは偶然別れは必然 大和郡山市 四方護

上句の情景がいい。電車の中で文字通り袖触れ合う人たち。

雨のふる夜に車が走る音 ここはどこかの海になりうる 能代市 珍田鮎子

最近の災害でこういう状況は実際にもあったが、そればかりではないのだろう。惹かれる歌。

西日さす酒屋の奥に畳あり畳の上に生活はあり 札幌市 東海林一樹

店の奥の方をのぞくと、かつてはこういう光景があった。生活と密接した店に、家の奥から店主が客の応対に出て来るような個人経営の店は今では少なくなった。初句の「西日差す」が良い。

米川千嘉子・選

眠りたる君のまつげが少しだけ動くを飽かず眺むる休日 福岡市 星裕子

可能性として、「眠りいる」だと「眠っている」の意味になる。

キッチンに鱗ぼろぼろ落ちていて、わすれてたのにわかってたこと 東京 柳本々々

「ぼろぼろ」が効果的ではないだろうか。

うつになり辞めた会社の百年史届きし夜に鬱の字開く 野田市 片倉伸明

「届きし夜に」までのつなぎ方が良い。「鬱の字開く」は抽象的な表現だが、もっと具体的な方がよくないだろうか。

ロープにて堰き止められし流燈は寄り添ひながら残り火燃やす 東京 嶋田恵一

素敵な歌だ。

紫蘇に乗るバッタはすぐに撤退せよ今日のメニューは天ぷらなのだ 河内長野市 寺田愛子

思わず微笑んでしまう。こういう詠み方もあるのだな。

栃餅の懐かしき味訪ねたく一日二本だけのバス待つ 明石市 小田和子

そういえば子供の頃に、「もちもちの木」という本を読んだ。栃餅の味を知っている方だから詠める。

伊藤一彦・選

ベランダに立ち尽くす人がいることを明け方わたしの窓は知っている 尼崎市 吉川みほ

選者評は「明け方にベランダに立ち尽くしたのは他ならぬ「わたし」。それを三人称の「人」で歌ったところに味わい。」

どのように辿り着きしか蟻の群れ橋の半ばの小さき飴に 松山市 宇和上正

本当に。蟻は橋を渡るのだろうか。そもそもどうやって飴がわかったのだろう。

遅く撒けば秋冷に咲く淡いろの雀の蓄音機ほどの朝顔 富田林市 橋本恵美

下句の比喩が良い。雀がそれで朝顔の声を聴くのだ。

ふつふつと思ひ出したる遠き日の言葉の真意いま合点する 堺市 天堀朱實

合点は漢字で書くとめずらしい言葉に見える。「腑に落ちる」では駄目だろうか。少し弱いかな。

住みなれたる町が一望できるなり終末医療の友の病室 埼玉 古矢登志子

正確には「たる」なのだろうが、「住みなれし」でいいのでは?「住み慣れる町」とはそもそも言わない。

検索をすれども何も出てこない方が不思議な情報化社会 甲府市 村田一広

検索をすれば必ず何かが出てくるということだが、「すれども」の逆接はどうか、ちょっと考えてみる。

長々と母と子がスマホで話すとき父親というは入りこめない 横浜市 吉村一

「いうは」というのが言い得ていていい。なかなかこういう言葉が思いつかないのだが。

書物にも読みごろのあり灯の下の青春のニーチェ老いのソクラテス 東京 野上卓

なるほど。あまりかけ離れてしまうと、心に響いてこないものだ。食べごろというのに似た「読みごろ」が、これも言い得ていておもしろい。

篠弘・選

工事日を前倒しする段取りを先(ま)づなさむ癌の告知を受けて 久留米市 荒木由紀子

そういうこともある。前向きに考えたい。

四十段の階昇りゆく男らの表情はみな敵をもつ顔 秦野市 星光輝

かつては、仕事をしていると外に七人の敵などと言った。

開きつぐシャッター街の漬物屋実力なのか意地張れるのか 守口市 小杉なんぎん

読んでいる作者も不思議がってはいるが、見守りたい気持ちもあるのだろう。

この夏は減塩運動聞かずしてむしろ摂ること勧められをり さいたま市 長谷川文彦

私も初めて塩飴なるものを買ってみた。皆がそうだったのか。

水害の墓所に来たりて泥かぶる墓石あらふ日盛りのなか 福知山市 内田松江

墓の掃除は例年のことだが、泥をかぶった墓を洗うとは、作者も思いもよらなかったに違いない。

猛暑日の生駒の谷の子どもらはあそび研究所にこまを回せり 生駒市 宮田修

固有名詞なのだろうからカギかっこがあってもいいのではないだろうか。

戦争の思い引きずる真夏日が連日つづき平成終わる 春日部市 丸山光

作者は高齢の方なのだろう。以前なら、夏はもっと戦争関連の特別番組や新聞にも特集記事があったような気がする。今以上に夏は戦争の色が濃かったように思う。それだけ時間がたったのだろう。年号が変わればさらにそれも変わるかもしれないという作者の懸念もあるかもしれない。

まとめ

朝日歌壇の方を毎週書いていますが、毎日の方は緩い雰囲気の作も多く、あまり細かく考えずに書いています。どちらも楽しませていただいています。ありがとうございます。




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