先々週の朝日新聞より、小佐野彈さんの歌集「メタリック」が紹介されていました。今回、毎日新聞で同じ歌人についての記事を読みました。
2つのコラムに引かれていた歌と、評者の視点の違いについて思ったことを記します。
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二つの選者の違い
朝日新聞の朝日歌壇の紙面中央にある「うたをよむ」のコラムにおいては、そこに惹かれた 小佐野彈さんの歌は次のものでした。
「うたをよむ」の方から
《セックスに似てゐるけれどセックスぢやないさ僕らのこんな行為は》
《胸元に青いたしかな傷を持つあなたと父の墓石を洗ふ》
一首目を引いたコラムの執筆者野口あや子さんの「第一声」は、「自らの性を自虐的に歌うことが社会への屈折と重なる。というものです。
続けて、それと同じカテゴリーの歌人として、俵万智さんの 《「この味がいいね」と君が言ったから七月六日はサラダ記念日》 を引き、「性への葛藤をクラシックに歌う『メタリック』は、2018年の『サラダ記念日』かもしれない。」という言葉でこのコラムを終えています。
毎日新聞での短歌月評
そして毎日新聞での短歌月評の方で、コラム中に紹介された歌は次の歌でした。
わが暮らす街が好きだといふ ひとの匂ひの残る布団を干せり
常夏に灼かれつづけてなほ太き腕(かひな)の強さ脆さを思ふ
ママレモン香る朝焼け性別は柑橘類としておく いまは
この月評の執筆者加藤英彦さんの、一首目「わが暮らす街が好きだといふ ひとの匂ひの残る布団を干せり」を引いての文は「香(かぐわ)しい相聞歌である。」であるというものでした。
香(かぐわ)しい相聞歌である。古来、相聞は恋の歌として多くの人々に愛唱されてきた。仄(ほの)かに恋人の匂いを残す布団は、陽ざしをあびて昨夜のあえかな記憶とともに柔かく膨らんだろう。
無論、加藤さんも同性愛という言葉で、「彼は、少年期から自らのセクシュアリティに激しく懊悩(おうのう)し苦しみ続けたという。」という説明をこれらの歌に与えています。
LGBTは、社会的にも理解されていないところがあり、それゆえに、最近頻繁にメディアに取り上げられています。なので、短歌を引用するに際しても難しいところがあると言ってしまえばそれまでです。
しかし、二つのコラムを並べてみて思うこととして、ある歌人の歌を引用する時に、その歌をどう理解するか、その歌人の作品の魅力はどこにあるのかの違いで、これらのコラムの紹介文とその内容は、互いにかけ離れた印象を持たせるものとなるということに、改めて気がつかされました。