麦のくき口にふくみて吹きをればふと鳴りいでし心うれしさ
中学校の教科書に掲載されてもいる、窪田空穂の有名な短歌代表作品の現代語訳と句切れ,表現技法などについて解説します。
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教科書の短歌 中学校教材に収録の近代・現代歌人の作品 正岡子規若山牧水石川啄木与謝野晶子他
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麦のくき口にふくみて吹きをればふと鳴りいでし心うれしさ
作者:
窪田空穂 歌集「濁れる川」
現代語訳:
麦の茎を口に含んで吹いていると、不意に音が鳴り出した時の心のうれしさよ
語の意味と文法解説:
吹きをれば・・・「吹く+をる」の二つの動詞が合わさった複合動詞。「をる」は、「居る」の意味。
をれば・・・仮定順接条件 「・・・していると」「・・・いたら」の意味
「なりいでし」・・・「鳴る+出(い)づ」の複合動詞。鳴りだす。
「いでし」は、「出る」の意味の「出(い)づ」に、過去の助動詞「き」の連体形「し」がついたもの。
「心うれしさ」の「うれしさ」は、「うれしい」(形容詞)の名詞形。
表現技法と句切れ:
体言止め。句切れについては以下に。
この歌の句切れについての説明
「ふと鳴りいでし」の「し」は連体形であり、終止形ではないため、文法上厳密にはここは句切れではないとされることが多い。
しかし、筆者が憶測するに、実際鳴り出したのは笛なのであり、にもかかわらず、連体形だと、「鳴り出した笛」ではなく「鳴り出した心」となってしまう。それでは意味の上からは明らかにおかしい。
なので、窪田空穂は以下に述べるように子どもの時の回想として、回想の助動詞「き」を用いて、「ふと鳴りいでき」といったん終止形にしようとしたが、何らかの考え、多くは音韻上の好みから、「鳴りいでき」を「鳴りいでし」と連体形にしたのだと考えるのが妥当ではないかと思う。
要するに、ここを「鳴り出でし」とするのは誤りなのであるが、短歌にはかなり有名な歌人でも誤りは度々あるし、また、誤りと知っていてもそれを用いることも往々にあるものである。
体言止めの例
うれしさを結句とする歌は、直ぐに思いつかないが、同じく「よろしさ」の体言止めの歌を挙げておく。
酒の名を聖(ひじり)と負(おほ)せし古(いにしへ)の大(おほ)き聖(ひじり)の言(こと)のよろしさ (巻三・三三九)
大輪の牡丹かがやけり思い切りて これを求めたる妻のよろしさ 古泉千樫
最初の歌は、句切れなし。二首目の歌は、二句切れとなる。
解説と鑑賞:
麦の茎とは中が空洞になっており、麦の茎を切って、笛のように吹き鳴らすものを「麦笛」という。昔、農村に育った子供はそれで遊んだようだ。
おそらく空穂の歌は、その子供の時の回想なのだろう。
年長の子どもに倣って、麦笛を試してみたが、最初は息の音しかしない。それが、不意に笛の音として鳴った、その瞬間の喜びを回想して詠ったものである。