『矩形の空』の作者は酒井祐子さん。
歌集で207年葛原妙子賞を受賞しています。
『矩形の空』の短歌作品のご紹介です。
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酒井祐子歌集『矩形の空』
酒井祐子さんの『矩形の空』は2007年葛原妙子賞の受賞で話題になりました。作品は病中詠を含むもので、私も入院の機会があった折にその歌に触れることができました。
病中の窓に見る空
歌集タイトル『矩形の空』は、これは入院中の病床で、窓から眺めた空のことです。「眺めた」とはいっても、重い病気であったので、それが目に入ったという病状の時もあったようです。
抱き合ふばかり矩形の空と寝てひきあけ深き青潭に落つ
「ひきあけ」とは早朝のことだそうです。
一連の他の歌は
七本の管に繋がれ裏返しの袋なるわれ三日ねむりき
観察室の二人けさまだ生きてありやぞうぞうと金魚の水溢れつつ
ママさんバレーの主将でありし金慶玉堆(うづたか)き骨となりたり
朝日新聞の記事内に引かれていたのは
エコー画面に叢雲のごとき象(かたち)見えあるあるある医師とわれと喜ぶ
徹底抗戦!景気よく言ひてせんかたなき四(し)匹の猫と夫を慰む
猫と夫とを思ひ較ぶれば体毛の足らざる夫が哀れとも哀れ
「体毛の足らざる」はここでは夫のことですが、治療の影響で酒井さんの頭髪その他が抜けてしまったことからの思いつきのようです。もっともこの朝日新聞に惹かれている歌は、それほど好きでありません。
同じくその、「矩形の空」は他の歌では「一片の空」となって、外部と対照して次のように詠まれます。
一片の空にこと足りてあり経れば切切と君の手紙は届く
11カ月を病院で過ごし「治るなら治る。だめなら仕方ないと思っていた」という間の作品ですが、自身の病は切実であるというより、どこか透明な美しさに満ちています。
また一見、病気とは変わらないように見えるものの方に、身に負った重さを想定させるものがあります。
片身水漬き片身乾反(ひぞ)りて大いなる緋鯉川中に死にゐたり
病ひのやうに眠気きざし繰り返し呼ばるベティ・ブープおまへ何者
うす皮の張りたる創(きず)を掻くごとくナンシー関をおもふしくしく
アララギで五味保義氏に師事
酒井祐子さんの歌歴で驚いたのは、大学在学中にアララギで五味保義氏に師事していたということ。しかし「先生がご病気になられて、選歌ができなくなった。以来、私は歌が作れなくなった」
その後は、岡野弘彦氏の「人」短歌会に参加したものの、10年後に同会が解散。本名の佐々木靖子から今のペンネームとして、「短歌人」に入会したということです。
なので、特に初期の歌には、アララギ派の影響も色濃く残っています。
土掘りびとわづかなる陰に仰のけに昼寐せりけり恰も風通る
ヘリコプターに吊らるる大きコンテナより牛の脚細くはみ出でてをり
白菜の立ち腐れつつみ冬づく三畝の土は見れど飽かぬかも
『地上』佐々木靖子時代の相聞歌
それと、佐々木靖子の名前で出された歌集『地上』には、相聞歌もあって、心を惹かれてやまないものが見られます。
かにかくに逢はざりしかな緑垂るる草の鉢いだき帰り来りぬ
あやめむとしてその頸に手触りしこと思ひでてひそかにこころはなやぐ
それと、父上の看取りの歌も、深く胸を打つものです。
人ひとり生きていくばくの悪をなすや茫々として父の日だまり
はろばろと空ゆく鳥の声きこゆ地の上を父の歩みゆくかな
つづまりは食のもの買ひて帰る夕べいづかたに吾のことばかがよふ
みな速く逝きし兄弟(はらから)からつぽの父の日永に来て遊ぶらし
おのづから過ぎゆくものを過ぎしめよ身を揉みて木々は輝く五月
みひらける灰色の眼に涙たまり涙溢れて終るわが父
ほがらかに父なき朝の明けにけり並べ干す死者生者の肌着
中断こそすがすがしけれ何も何も遂げず或る朝死なむと思ふ
万象はしづかに冬に入りゆくと父なき夜の門をとざしぬ
最近の短歌で、良く引用されるものは、
わにざめとわにの異同を思ひをれば雲はわにざめの口を開きぬ
大いなる曇りのもとの皺袋たゆみなく象でありつづけつつ
そのいずれもが、ひじょうに特徴ある、個性的な作品です。
もう新刊は手に入りそうもありませんが、おすすめしたい歌集です。