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昭和天皇の直筆短歌の原稿見つかる 推敲中の草稿252首

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こんにちは。まるです。
新年早々、昭和天皇の直筆の短歌原稿が見つかったという、おめでたいニュースです。

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昭和天皇の和歌の原稿見つかる

昭和天皇が晩年、御製(ぎょせい、和歌)を推敲(すいこう)する際に使ったとみられる原稿が見つかりました。誰かは明かされていませんが、近しい人が保管していたというものです。

原稿は「宮内庁」の文字が入った罫紙(けいし)。枚数は29枚、裏表57ページにもわたるものです。

筆記に使われたのは、鉛筆だそうです。

昭和天皇の草稿 歌の数252首

歌の数は252首確認できる、というので、おそらく断片だけのものは除いてあるのでしょう。欄外に注釈や書き込みもあり、指導などに当たった歌人は、天皇の直筆であると確認しているということです。

昭和天皇が1985年ごろから病に伏す88年秋まで

それらの歌の詠まれた時期はというと、1985年頃から1988年ということで、計870首が掲載されている「昭和天皇実録」に掲載済みの歌の推敲段階とみられるものが41首、未掲載のものが211首みられるということです。

逝去は89年1月7日のことでしたので、最晩年の御製となります。

保管者は匿名を希望

保管していた人の名前は明らかにされておらず、ご本人も匿名を希望しているということです。今後は研究機関など適切な場所に原稿の管理を委ねられることになりそうです。

どのようなものが確認できたのかというと、

あゝ悲し戰の後思ひつゝしきにいのりをさゝげたるなり

という、戦争へのお悲しみの気持ちが、88年8月15日の全国戦没者追悼式に際し、率直に表されたものや

國民の祝ひをうけてうれしきもふりかへりみればはづかしきかな

は、86年4月29日の85歳の誕生日にあった在位60年記念式典の際のものだということです。

これには、

大元帥として開戦や敗戦を宣明した昭和天皇。60歳の時に「われかへりみて恥多きかな」、70歳では「かへりみればただおもはゆく」と歌に詠んでおり、通底する思いがうかがえる。

原稿の欄外には「この義式は國の行事なれどこれでよきや」と記されていた。

記事内にある通りです。

出来上がった歌は、既に収録されているわけですが、むしろ推敲中の歌、すなわち、指導する歌人の手が入る前の方が、作者である天皇のお気持ちが率直に表されているともいえます。

昭和天皇の御製から

他にも今回見つかった作品から

雨の時は馬車にて學校にかよひたることのぎはさとせり

学習院初等科の乃木院長は、「雨の日には馬車で通うと通学方法を答えた、学童期の昭和天皇に、「外套を着てと余で通うようにさとされた」その思い出を詠まれたものです。

 

難しきときに務めしが君も又世をさりにけり秋をもまたで

侍従の死を悼まれて詠まれた御製です。

紀宮は父母と主に朝はやくなすにとりこゑたのしくきけり

那須御用邸に向かわれる黒田清子さんをお読みになったもの。

 

み子たちとそぞろありきの高原にきさきゆかぬはひとしほさびし

香淳皇后が体調が悪くお出かけになれなかった時のお気持ちを詠まれました。

 

浩宮の祝いうれしき弟をおもへばかなしむかししのびて

浩宮様の英国留学に、秩父宮様が留学を中断して帰国したことを思い出されておられます。大正天皇の逝去が理由でした。

 

ふたたびもみたるやかたのこの角力さかえゆくさまよろこびにけり

相撲観戦は、日々の生活の中で楽しみにされておられました。

が、お立場上、ひいきの力士があっても、口には出されなかったと伝えられています。

 

秋されば國の務めを日のみこにゆづりてからたやすめけるかな

「病の爲國務を皇太子にゆづる」の詞書があります。

 

あかげらの叩く音する署(あさまだきに)きかぬさびしくうつりしならん

白雲のたなびく那須に青空もみえてむかしのなるをしのべり

二首目は関東大震災を回想する内容だということです。

昭和天皇の御製を読んで

当たり前のことのようですが、晩年の天皇が自ら歌をお詠みになっていたということが、よく伝わります。

実際の新聞の報道では、推敲された句が脇に二通りに書き添えられていたり、他にも欄外にメモ書きなども確認されています。昭和天皇のお気持ちが伝わるものとして、貴重なものです。

あらためて思うことに、歌というのは整ったものばかりが大事なのではない、とにかく、詠むことが大切なのだと気づかされる気がいたします。





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