花山周子歌集「林立」からスギと花粉症の短歌 木と人との不幸な関係性  

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花山周子歌集「林立」からスギと花粉症の短歌 木と人との不幸な関係性

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今日の朝日新聞「天声人語」には、おもしろいことに、花粉症と杉の木を詠んた短歌が引用、紹介されていました。

もちろん、冗談の類ではありませんで、歌人の花山周子さんが詠まれた短歌だそうです。

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天声人語でスギ花粉の話題で短歌を枕に

朝日新聞の言わずと知れた、天声人語欄、季節の話題を扱うことが多いのですが、あたたかくなった今日は花粉症が話題でした。

どうやら、執筆者も、「マスクなしでは外へも出られぬ季節になった」と言っているので、花粉症を患っておいでのようです。

歌人花山周子さんの花粉症の短歌

花粉症だとマスクは手放せませんが、その光景を歌人の花山周子さんは次のように詠っておいでです。

白妙(しろたえ)の
マスクの民は
かがなべて
花粉に春を
涙せる
もののあはれに
鼻垂りて

こちらは「歌人の花山周子さんが詠んだ万葉調の歌」として、天声人語の冒頭にまず紹介されたのものです。

この歌に、やはり強く共感するのは花粉症を患う人になるのかもしれません。

定型の花粉症の短歌

他にも、花山歌人の定型の短歌としては

一本の杉の花粉は渦巻き銀河のごとき天文学的数値

記者は「読むだけでムズムズする」と早速の反応。

 

杉山の花粉は山に山火事のけむりのごとき打ち靡く見ゆ

この光景は、テレビなどで、毎年のように見る場面です。
「ごとき」は新聞の誤植でしょうか。

 

スギがこんなに増えた日本のあさぼらけ杉の息が匂うよ

そう、杉の樹の匂い、否匂いを感じる間もなく、スギの息吹を直接に体で感じているのが、花粉症の人たちと言えるでしょう。

日本に杉が増えたのは、戦後、日本が豊かになってからでした。

しかし、その頃には皆が杉のことなどは、すっかり忘れていたことでしょう。

 

日本の復興に貢献するべくもなく適材適所の適所あらなく

こんにち、このように日本に花粉症が蔓延したのは、杉の木と杉山が多くなってしまったからです。

戦後の復興期に各地で、杉が植えられた。すると、外国の木材が入ってきて、そちらの方が安いとうことで、大量に放置されたのが、現在の花粉症の原因だそうです。

花粉症の人にとって不幸なことには違いないものの、スギにしたところで、増やされ放置されたということで、花粉の気炎を吐いては、存在を知らせることになったのやもしれず。

他に、

杉の根の軟弱さなど思いつつポケットに手を入れてバス待つ

かの懐かしき電信柱は杉なりき明治の都市に林立したり

大量の花粉揺さぶり吐く杉の往生際は極めて悪し

など、歌集『林立』には杉の歌が詠まれています。

花山歌人は花粉症ではない!?

これらの短歌を読んでいて、驚いたのは、作者の歌人自身は、花粉症ではないとのこと。

花粉症の歌を詠もうと思ったきっかけは、「塔」で作品連載の機会があり、「杉」を題材にしたこと。

その際、植林の歴史を調べるようなご経験もあり、これらの歌は、「人が杉を恐れたり憎んだりする今の関係はとても不幸で悲しい」という思想によって生み出されたものであることは、作者の語る通りです。

私の知る限り、花粉症の短歌、と言いますか、「スギと花粉症」について詠まれた歌を見るのは初めてで、とても興味深く思います。

どんなことでも歌に出来るのだな、との驚きです。

斎藤茂吉の杉の短歌

斎藤茂吉の短歌についていえば、もともと、木というものが好きな人であったようで、杉を題材にしたものもあります。

はるばるも来つれこころは杉の樹の紅の油に寄りてなげかふ 『赤光』

木の幹に、傷があってそこから杉の樹液が赤く光っている。
心に痛みを持つゆえに、その木の幹に寄り添って嘆くという意味の歌です。

「紅」は歌集『赤光』のテーマカラー。

 

はざまなる杉の大樹の下闇にゆふこがらしは葉おとしやまず

ものの行とどまらめやも山峡の杉のたいぼくの寒さのひびき

どちらも『あらたま』より。下は「祖母」の中の一首。いずれもすぐれた歌、秀歌です。

 

他にも

杉の木はまだ若くしてむら立てり霧のしづむはあかときにして.

四萬谷(しまだに)にしげりて生(お)ふる杉の樹は古葉をこめて秋ふかむなり

わが庭の杉の木立に来ゐる鳥何かついばむただひとつにて

これらの歌には、当然ながら、今の杉への忌避の姿勢はみじんもありません。

花粉症の因となる花粉を持つ杉の樹は、今や「寄り添」って嘆きを分かち合う対象ではなくなり、アレルギーの因をまき散らすものとして、忌み嫌われるものとなってしまいました。

茂吉のような視点を持って、樹木を見られないというのは、何という不幸なことでしょうか。

木としての杉と人との関係性を回復させるためには、何ができるのか。

花粉症の歌を詠むということは、関係性のネガの面ではありますが、木と人とのつながりを詠んでいることには間違いありません。

良くも悪くも、花粉症の人はこの木に無関心ではいられないのですから。

何よりも、万物が目覚める春のこの時期においては。

それに気がつかせてくれる、花山周子歌人の「花粉症の短歌」でした。




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