春はこれまで学生だった人も社会人になる季節ということで、朝日新聞の「うたをよむ」欄に「新社会人と短歌」というタイトルで、石川啄木と現代短歌から三首紹介されていました。
そこで、今日は仕事に関する短歌、歌人の職業を詠んだ歌を集めてみました。
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新社会人の短歌
石川啄木の短歌で紹介されたのは下の歌
こころよき疲れなるかな/行きもつかず/仕事をしたる後のこの疲れ 石川啄木
石川啄木は新聞社に勤めていました。
校正の仕事をしていたようですが、その後、歌壇の選を頼まれて請け負ったようです。
なんとなく社会人めくとりあえずお疲れさまですとあいさつをして 小島なお
岩内敏行さんは「社会人らしくなってきた自分にホッとしたのだった」とこの短歌を読んでいます。
ええ、という相槌を打つ術を得て社会人ってずっとこうかな 山口文子
無難な相槌が、社会人になったらずっと続くのか、「という疑問符がこの歌の背中越しには貼りついている」
この歌を詠んで思うことは、「ええ」という相槌に、違和感を覚えるということがあるということ、それ自体がとても新鮮で少し驚きました。
他に、社会人の短歌を、といっても思い出せなかったのは、たぶん、私自身が社会人になろうという頃には、まだ短歌に関心を持っていなかったためでしょう。
人は自分のライフステージに合った短歌に関心を持ち、その時その時の歌がいちばん記憶に刻まれていくのでしょうね。
そこで、とりあえず、歌人が自分の仕事や職業に関わる歌を詠んだ作品を集めてみました。
仕事の短歌
海港のごとくあるべし高校生千五百名のカウンセラーわれは 伊藤一彦
作者はカウンセラーをされていました。上を読むと、高校生に特化したカウンセリングをされていたようで、この作者は比較的仕事のことを多く詠まれています。
布のごとき仕事にしがみつきしがみつき手を離すときの恍惚をいう 内水晶太
自分がなのか、あるいは他の人が言うことを聞いたのかは、はっきりわかりませんが。
ピペットに吸い上げらるる透明を寄り眼しながら測りておりぬ 永田紅
実験室で仕事をしていた作者も、そこでの光景をよく詠まれています。
形容詞過去教えむとルーシーに「さびしかった」と二度言はせたり 大口玲子
作者は日本語教師をされていた方。これからは、日本語の先生も増えるのかもしれません。
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肺尖にひとつ昼顔の花燃ゆと告げんとしつつたわむ言葉は 岡井隆
医師の作者がレントゲンの画像を見て、患者に異変を伝えるその時の自分の話し方を、「たわむ言葉」と表現します。
残業は日々続きいてポケットに少女の名前の活字秘めつつ 浜田康敬
作者は印刷所に勤めており、植字の仕事をされていた方です。
選歌して眠たくなれば下りてゆく階下(した)にも一人が選歌してをり 河野裕子
作者はこの時、歌を選ぶ作業をしていたわけですが、階下には夫君も同じことをされていたという場面を詠んでいます。
コンビニのバックヤードでミサイルを補充しているような感覚 木下龍也
コンビニでの勤めを詠む作者ですが、なんとなくおもしろい例えですね。
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たぶん親の収入超せないボクたちがペットボトルを補充していく 山田航
こちらもコンビニの歌ですが、シビアな収入の面に焦点を当てています。
青き獄衣のままなる物体が搬ばれぬややありてホルマリン槽に落下する音 原田禹雄(のぶお)
作者は医師でも開業医ではなくて、ハンセン氏病などの研究をされていた方だったようです。
トレーラーに千個の南瓜と妻を積み霧に濡れつつ野をもどりきぬ 時田則雄
北海道の広大な畑で農業にいそしむ作者、詠まれるもののスケールの大きさに圧倒されます。
晴れ上がる銀河宇宙のさびしさはたましいを掛けておく釘がない 杉崎恒夫
天文台に勤めておられた作者には、青空よりむしろ星空が多く取り入れられています。
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アララギの歌人たちの仕事の短歌
アララギの歌人の仕事に関わる歌も1首ずつあげて、それぞれの職業にふれておきます。
茂吉われ院長となりいそしむを世のもろびとよ知りて下されよ 斎藤茂吉
斎藤茂吉は、義父の後を継いで院長に就任。あるいは事務系の仕事は苦手だったのかもしれません。
斎藤茂太氏か北杜夫が、医師にあまり向いていないようだったとも言っていますが、しかし、家にいるときはともかく、患者からの評判は良かったようです。
この短歌を読む人は、茂吉が歌人だと思って読んでいるわけですが、院長としても仕事をしていることを、皆さん知ってください、と自分が仕事もちゃんとしていることを言っているわけです。
多分、院長の仕事もあまり好きではなかったのでしょうが、それゆえに頑張ってやっているという感があり、愉快で面白い歌です。
この家に酒をつくりて年古りぬ寒夜は蔵に酒の足る音 中村憲吉
憲吉は酒蔵を営む素封家に生まれました。生活はかなり裕福であったようですが、家を離れ、自由な暮らしのない生涯を惜しんでもいたようです。
歌集のタイトル「しがらみ」という言葉からも、憲吉の心境がうかがえます。
この時の仕事は、酒蔵を営む経営者、社長のようなものでもあったのでしょうが、家での様子を知っていた人からは、「いつもさびしそうであった」と伝わっています。
一方、アララギの仲間に会うと、たいへんな話好きであり、話し続けて一晩寝かせなかったと言われています。
下の島木赤彦とも兄弟のような、親しい友人でした。
つとめに出でねばならず薄ら日の曇りの窓にズボン穿くひとり 島木赤彦
赤彦の多くの写真は、着物を着たものが多く、学校教師の勤めの際にはズボンをはいたようです。
孤独な一人暮らしで仕事に行くときの物憂い気持ちを詠んだ歌のようです。
赤彦は家族を離れて、そしてこの頃は中原静子という同僚の女教師と恋愛関係にあり、そのため上のような心境の歌も詠まれたのでしょう。
夜に入りて風の音ひたとやみにけり大川端に宿直(とのゐ)する夜を 古泉千樫
千樫は水難救済会というところに就職。その宿直の日の情景を詠んでいます。
水難救済会の仕事は、給料も安い上に、千樫の意に添う仕事ではなかったかもしれませんが、それでも家族を養うために病に倒れるまで勤めを続けました。
この宿直室には、斎藤茂吉や、中村憲吉も泊まったと伝わっています。
終りに
仕事と職業の短歌は、ありそうで、そうそう見つからない気もします。ルーティンワークの中に新鮮に思えることが減ってしまうためでしょうか。
新社会人となられる方は、むしろ毎日が新しいことばかり。この機会に、ご自分でも歌を詠んでみてください。
あとから読み返して、懐かしく思う日が来るかもしれません。