校庭の地ならし用のローラーに座れば世界中が夕焼け
穂村弘さんの有名な短歌代表作品の訳と句切れ、文法や表現技法などについて解説、鑑賞します。
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校庭の地ならし用のローラーに座れば世界中が夕焼け
作者と出典:
穂村弘 『シンジケート』
この短歌の現代語訳
校庭にある地ならし用の大きなローラーに上ってみると、空がこんなにも近くに見えて、まるで世界中が夕暮れになったかのようだ
この歌は、日本語の古い言葉である「文語」ではなく、今の言葉の「口語」で詠まれていますので、特に現代語訳の必要はありません。
そのまま何度も読んで、意味を取ってみましょう。
穂村弘さん自身の解説
穂村さん自身がこの歌について述べたものによると、
校庭の地ならし用のローラーに座れば世界中が夕焼け」という歌も現実には世界中が夕焼けということはないけれど、子どもの感覚で詠んだ歌ですね
とのこと。(朝日新聞「フロントランナー」’20年11月28日)
文法解説:
文法についての解説です。
「校庭の」は短歌の舞台である場所
「校庭の」は、「校庭にある」の意味で、歌の全体の舞台を最初に示しています。
この場合は「校庭に」でもいいのですが、そうすると、「校庭に」「地ならし用のローラーに」と「に」が重なってしまうので、「校庭の」とされたのでしょう。
意味としては「に」と同じく、場所を指し示しています。
「座れば」は時間的な順序
「座れば」の「-れば」は確定順接条件の「ば」
「原因・理由」を述べるものですが、ここでは「座ったので」の原因を述べたと理解するよりも「座ったら、そして」のような時間的な順序を自然に表したものと思われます。
表現技法と句切れ:
句切れはありませんので、「句切れなし」です
「夕焼け」の名詞で終わっており、それは「体言止め」
「座れば」は、上に述べた確定順接条件
「座れば世界・中が夕焼け」と切れるので、これは句切れではなくて、句またがりといいます。
現代短歌には多い例です。
例:
「寒いね」と話しかければ「寒いね」と答える人のいる
この歌の解説を見る:
「寒いね」と話しかければ「寒いね」と答える人のいる
体言止め
体言止めというのは、短歌の一番最後の部分が名詞で終わっている歌をいいます。
この歌の最後は「夕焼け」という名詞です。
体言止めで終えると歌によってはくっきりとした印象になります。
この歌の場合は、「世界中が夕焼け」という、赤系統の色を想定できる「色」を置くことによって視覚的なインパクトを与えて歌を終えるため、鮮明な印象を与える効果が増しています。
また、この歌の意味においても、「世界中が夕焼け」というのがこの歌のポイント、一番いいところでもあります。
句またがりについて
これについては、穂村弘自身が『短歌の友人』の中で、俵万智の短歌について、次のように述べています。
いずれも「二音/五音」の分割による「連体形/体言止め」のかたちになっていることがわかる。これは戦後の前衛短歌が開発した句またがりという技法の口語的なバリエーションなのだが、読者はそんなことは全く知らないまま、読み進むうちに、この安定したリズムを心地よいものとして受け入れるようになるだろう。
体言止めの例
「この味がいいね」と君が言ったから七月六日はサラダ記念日
思い出の一つのようでそのままにしておく麦わら帽子のへこみ
解説と鑑賞
Yahoo知恵袋の描写がいい感じなので、その文章を引きます。
校庭(グラウンド)の整備用(石ころを踏みつぶし平坦にする)のローラーは、ぼくらの時代にはクラブのとき数人がかりで引かれされたものです。それが校庭の隅にぽつんと置かれています。
下校の時刻になって人影の少なくなった頃、空は夕焼けに染まってきます。
いつになく、そのローラーの上にあがって、座りました。いつもよりは少し高い位置で夕焼け空を見ていると、校庭全体が夕焼け色に染まってきました。
その、まるで夕焼けを独り占めしているような気分を「世界中が夕焼け」と歌いました。
中学生か高校生か、若い頃の体験を歌ったような感じがします。「世界中が夕焼け」という表現に若さを感じます。
「世界中が夕焼け」
この歌のポイントは、「世界中が夕焼け」にあります。
先に述べたように、体言止めで視覚的にインパクトの強い「色」を想定させる「夕焼け」を置くことで、歌全体がはっきりとした印象になっています。
また、「夕焼け」で終えて、その後に動詞や助詞を置いていないため、夕焼けがいつまでも続いているような感じになりますね。
この作者が良く詠む、青春の一コマのような情景ですが、「ローラー」がレトロな昭和の雰囲気のようなものを伝えており、ノスタルジックにまとめた一首です。