はてしなきかなたにむかひいて手旗打つ万葉集をうちやまぬかも 近藤芳美の短歌  

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はてしなきかなたにむかひいて手旗打つ万葉集をうちやまぬかも 近藤芳美の短歌

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はてしなきかなたにむかひいて手旗打つ万葉集をうちやまぬかも

万葉集の短歌が戦地で読まれ、兵士の兄の心を和ませた、という内容の投書を朝日新聞で読みました。

同じように歌人の近藤芳美も万葉集を戦地に持っていき、それに関連する感動的な短歌を詠んでいます。近藤芳美の短歌と共にご紹介します。

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万葉集が昭和初期にブームに

現在、元号が令和に変わるにあたって、出典が万葉集の梅花の歌序文であったということで、万葉集がブームになっています。

それと同様に、万葉集は昭和初期には、今以上の空前のブームとなっていました。
戦争に際して、「軍国主義」を強化するものとして「利用された」からだそうです。

実際に、大伴家持のよく知られる長歌の一部、「海行かば水漬(みづ)く屍(かばね)山行かば草生(む)す屍大君(おほきみ)の辺(へ)にこそ死なめ顧(かへり)みはせじ」は、曲をつけられて、軍国歌謡となり、老若男女に歌われました。

また、防人の歌を収めた「愛国百人一首」も大宣伝され、「忠君愛国と万葉集は切っても切れない関係にあった」ことを、品田悦一教授が述べています。

万葉集を軍国主義に利用

 

当時の万葉集の和歌の選定と解釈の方向は、品田教授によると

「万葉集の4500首余りのほとんどは男女の交情や日常を歌っているのに、国境警備に動員された『防人』の歌のうちのわずか数十首の勇ましい歌が、昭和の戦争期には軍国主義に拡大解釈された」

 

しかし、実際にはそれだけではなく、軍国主義を離れて、ひそかに万葉集を鑑賞し続ける人もいました。

その一つが、前の記事でご紹介したエピソード「戦地で万葉の女性をしのんだ兄」です。

 

「戦地で万葉の女性をしのんだ兄」朝日新聞「声」

 

投稿者女性は、戦地に従軍する兄から「斎藤茂吉の著書である『万葉秀歌』を送ってほしいと頼まれて万葉集を送りました。

その後兄上は戦地で亡くなりましたが、女性は、戦地からの兄の遺品の中に一冊のノートを見つけました。

万葉の歌の感想や自作の短歌が連ねられ、「万葉の女流歌人の中で最も慕わしい人は大伯皇女(おおくのひめみこ)。教養の高い優しい愛情豊かな美しい女性」とつづられていました。

投稿者女性は「荒(すさ)んだ戦場の片隅にありながら万葉集に理想の女性を見つけることが出来て、どんなにか愛(いと)おしく温かい気持ちになったことでしょう。」と戦地の兄上と共に万葉集があったことを喜んでおられます。

 

近藤芳美の短歌

もう一つ戦地で万葉集を読んでいたという歌人、近藤芳美のエピソードを紹介します。

戦争に万葉集を僕は戦争に文庫本の万葉集を一冊持って行った。何のために死ぬんだろうか、何のために死ななきゃならないんだろうか。
その時の自分を納得させるために、一つには日本の文化というものがあり、その先に日本のことばがあった。そういうことで自分を心の中で納得させようと思ったんです。
日本語は美しいことばだとその時思いました。

上は歌人の近藤芳美がインタビューに応じた時に語ったことです。

近藤は新婚3ヶ月目の1940年9月に応召、船舶工兵として中国大陸に渡りました。

そこで、軍務の合間に万葉集を読んでいた近藤芳美が詠んだ短歌が下の歌です

はてしなきかなたにむかひいて手旗打つ万葉集をうちやまぬかも

この時ポケットには妻からの手紙があったといいます。
そして近藤が手旗信号で打ち続けた万葉集の短歌は、戦争とは無関係の、柿本人麻呂の下の歌でした。

 

小竹(ささ)の葉はみ山もさやに乱れども吾は妹(いも)おもふ別れ来ぬれば

(作者:柿本人麻呂 万葉集 1巻133)

戦争のために、結婚してわずか3か月で別れた妻が戦地に手紙を送ってきた。

今すぐにでも返事をしたい。妻をこの目で見たい、会いたい、話をしたい。

その強い思いが、近藤に上の人麻呂の歌を選ばせ、遠い妻に向かって「うちやまぬかも」の行為をさせたのです。

もちろん、大陸の海の向うにいる妻にはそれは見えません。しかし、妻にことばを届けたいという強い思いは、「見えない」という事実を越えるのです。

「うちやまぬかも」という結句は、この歌を読む私たちにそういう思いを起こさせます。

万葉集の軍国利用に警鐘 斎藤茂吉

斎藤茂吉は、同じく戦争中に軍国主義における手本として扱われた万葉集の「防人の歌」について、下のように述べています。

防人の歌について、一言せねばならぬことがある。万葉集を全く読まぬ人達の間には、防人の歌といえばことごとく男性的な、勇敢なもので、あたかも現今の出征兵士らが前線で詠むところの戦争短歌と同類のものという誤解の流布していることだ。

 

また、当時の万葉集の解釈の方向性にについても次のように述べています。

実際、万葉集から日本心というようなものを拾出して、あてはめようと急ぐ人々はそういう取り扱い方をしているように見受けられる。

斎藤茂吉自身が、戦争中は戦争詠というのを作ったことを後に批判されたわけですが、万葉集を一律に軍国主義に近づけて考えることには上のように警鐘を鳴らす意見を述べてもいたのです。

まとめ

万葉集には上に述べた通り、4500首の歌があります。

。恋愛の歌、父母の歌、老境の歌、人との別れ――どの歌を選ぶかは、読む人の自由です。自分の好きな歌を探してください。

そして、「万葉集をうちやまぬかも」というように、万葉集の中から、自分の今の気持ちに重ねられるような短歌を見つけられるといいですね。

それが万葉集を読むこと、短歌を読むということなのだと思います。

(文中の一部は下の本より引用しました)




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