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原爆の短歌 河野キヨ美 正田篠江 竹山弘「消えない記憶」

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原爆の短歌と聞いて、皆さんはどの歌を思い出しますか。

朝日新聞に、河野キヨ美さんの短歌を含む記事が掲載されました。

原爆を詠んで有名な歌人、正田篠江さん、竹山弘さんの歌集「とこしへの川」の作品と合わせてご紹介します。

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河野キヨ美さんの短歌

朝日新聞8月18日の「(社説余滴)消えぬ記憶を絵に残す 高木智子」は次のような衝撃的な短歌で始まっています。

被爆電車に焦げし腕下がるを見し記憶拭いても老いても消えぬ

河野キヨ美さんは当時14歳、爆心地から35キロ離れたところに住んでいて無事でしたが、「広島全滅」の方を聞いて、お母さんと一緒に、2人のお姉さんを探しに広島の町に入りました。

ところが、町の惨状は思っていたよりももっとひどいものでした。それは河野さんの記憶に強烈な印象を残しました。

1台の電車のそばを通る時何気なく見上げると 電車内に黒いものがぶら下がっています。よく見ると黒焦げの腕で、つり革を持ったままの腕が炭の棒になっていました。

二人のお姉さんは幸い無事でしたが、河野さんは後年、この”消えない記憶”を元に、2003年に、絵本「私は忘れない」を出版、被爆の証言を行ってこられました。

 

正田篠枝さんの短歌

原爆の短歌としてよく知られているのは、正田篠枝さんの次の作品があります。

太き骨は先生ならむそのそばに小さきあたまの骨あつまれり

この短歌も、いちど聞いたら忘れられる人はいないでしょう。

子どもという、罪のない、死なすべきものでない者がこのように死んでいる。

戦争とは何なのか、原爆とは何なのか――誰しもに、深い問いを残す作品となっています。

 

「とこしへの川」竹山広

原爆を詠んだ歌人として知られているのは、竹山広さん。

爆心地から1.4キロメートルの地点にあった病院にて被爆。ご自身は建物の中で継承でしたが、退院のお迎えに来ていたお兄さんが犠牲になりました。

竹山さんは当時25歳でした

傷軽きを頼られてこころ慄(ふる)ふのみ松山燃ゆ山里燃ゆ浦上天主堂燃ゆ

たづねたづねて夕暮となる山のなか皮膚なき兄の顔にまぢかく

まぶた閉ざしやりたる兄をかはたらに兄が残しし粥をすすりき

人に語ることならねども混葬の火中にひらきゆきしてのひら

爆心地より千四百米の距離にゐて生きたれば生きしゆゑにくるしむ

死の前の水わが手より飲みしこと飲ましめしことひとつかがやく

くろぐろと水満ち水にうち合へる死者満ちてわがとこしへの川

これらの歌を収めた第一歌集 『とこしへの川』が上梓されたのは、歌人が61歳の時です。

「とこしへ」とは永遠のことであり。これらの歌を作られたもの、歌集をまとめさせたのもまた、胸の底に永遠に残り続ける消えない記憶であったに違いありません。

 

竹山広さんの歌は、もっと当たり前に読まれているものだと思っていましたが、ネットでの引用があまりに少ないので、逆に驚きました。

歌人としても作品としても、原爆以外の題材の歌もとても優れたものです。

ぜひ皆様に読まれていただきたい作品です。

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