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「彼をナガサキした」の英語表現の批判に坂口安吾「私も真珠湾」

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「彼をナガサキした」という表現、英語でnagasakiが、動詞として使われていることに、批判が巻き起こりました。

ところが、坂口安吾の言葉に「私も”真珠湾”」という記載があることを思い出して、表現に関してへの批判に疑問を投げかけた方がいます。

両方を取り上げながら、表現ということについて考えてみます。

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「彼をナガサキした」の意味

ナガサキに関する表現に注目、話題として取り上げたのは、西日本新聞です。

アメリカの連続ドラマ「THIS IS US」

米国で大ヒットし、日本でもNHKで放映されている連続ドラマ「THIS IS US(ディス・イズ・アス)」というドラマに、「Nagasaki」という単語が「破壊する」「つぶす」という意味の動詞として使われるセリフがあったことが発端でした。

「Nagasaki」の使われたセリフ

「Nagasaki」の使われたのは、「If you do,I'll be forced to Nagasaki your life and career」と「I Nagasak'd him.」の2つのセリフです。

対訳で見てみると

If you do,I'll be forced to Nagasaki your life and career.
(もし降りるなら、君のキャリアを徹底的につぶすしかない)

もう一つは、その続き、

I Nagasak'd him.
(私がつぶした)

ドラマの場面はというと、現代のドラマなので、もちろん戦争には全く関係がありません。

最初の場面は、俳優ケビンがコメディードラマで道化役を続けるのに嫌気が差し降板を決意したのに対し、テレビ局の代表が、「キャリアをつぶす」といったところ。

日本だったら「干される」という言い方がありますが、「それなら干さざるを得ない、逆らうなどもってのほか」というような意味のようです。

下は、それに続けて、かつて同じような立場に立った俳優が居たが、その相手に対してもそうなったということを、「I Nagasak'd him.」-彼をつぶした―といったものです。

「特殊な俗語表現」―西日本新聞

このようなよう例は初めてらしく、西日本新聞では、

日本市場向けに作品の字幕・吹き替え製作を担当した東北新社(東京)によると「Nagasaki」という単語が動詞に使われたケースは「確認できる範囲では、過去に事例はない」といい「このような使い方をされていることに驚いた」と話した。一般的な辞書には記載がなく、特殊な俗語表現とみられる。

と記載。テレビ関係者は、取材を申し込んでも解答はしなかったということです。

あくまで一部分であり、政治的、その他の意図はないということでしょう。

前長崎原爆資料館長のコメント

前長崎原爆資料館長で作家の青来有一さんは、この件にコメントを求められ、

この表現を肯定するつもりはないが、全体の文脈の中で読むと、原爆投下や戦争を賛成する内容ではなく、登場人物の性格を表しているようだ。

として、「逆に原爆投下を否定的に捉えているとも考えられる」として、「明確に侮蔑、差別の意図が感じられるのなら別だが、視聴者が判断することではないか。」とだけ述べました。

その他の批判

「Nagasaki」それ自体は、意味はない言葉のため、これは一種の比喩表現であるわけですが、しかし、当然ながら、この表現を受け容れられないとする人もたくさんおられます。

そのような場面でナガサキという言葉を使ってほしくない。ユーモアとも受け取れない」「感情を逆なでするような表現には抵抗がある」(当時11歳だった山脇佳朗さん(85))

「悲しすぎて言葉にならない」「きのこ雲の下で何が起きたのかを分かっていない。『つぶす』なんてものではない」(長崎県平和運動センター被爆者連絡協議会・川野浩一議長(79))

私たち日本人で、原爆の被害に少しでも触れたことのある人なら、それが、個人的な遺恨を持った人誰か一人に対して及ぶような程度のものではないということは、誰もが知るところだと思います。

このような批判が起きることも当然といえますし、このような表現に対し、過度の批判はともかく黙っていずに、「実際はこのようなものだった」と伝えることも、ひじょうに大切なことだと思います。




坂口安吾「私も全く真珠湾」

ところが、朝日新聞の投書に、坂口安吾が「真珠湾」を使った表現があると知らせた方がおられます。

日本語教師をされている、梅木陽子さんという方です。坂口安吾のエッセーの一文にある文章だそうです。

終戦間もない時期の「机と布団と女」で、知人の写真家が散らかった書斎を突然撮影に来た場面です。

となると、文学通の人でなくても、「ああ、あの写真」と、思い出される人も多いことでしょう。

そして、その写真家の”奇襲”、これもその中の安吾の言葉ですが、それに対して、

「私もまったく真珠湾で、ふせぐ手がない」

と安吾が記したというのです。

「ひとつの表現」

投書者は、これについて

「戦争論」で戦争を否定した彼が、米国人に卑劣と言われる日本軍の奇襲、真珠湾攻撃に無知なはずがありません。分かった上で放った新しく奇抜な表現は、読者を「ん、何?!」と立ち止まらせる効果を生みました。「ナガサキする」もそれに通じる部分があるのでは。 歴史に学ぶことは当然重要です。その上で、これもひとつの表現だとして向き合い、評価や批判をすることも大事だと思います。

と続けています。

最初のナガサキに関しては、他では見られないということで、これは「THIS IS US」」のドラマの脚本家の造語であるのかもしれません。

おそらく、考え出した人は、斬新な、これまでにない表現だと思ったのかもしれないと思います。短歌においてもそうですが、造語、新しい表現というのは、やはり、それなりに目を引くものだからです。

ちなみに、このドラマのタイトル「THIS IS US」は、どう見ても、マイケル・ジャクソンの映画「THIS IS IT」のもじりであるように見受けられます。

全く新しい言葉のタイトルでパッとしないものなら、既成の聞き覚えのある固有名詞は人の気を引くものとなるでしょう。

立場と感じ方の違い

確かに、表現としてはその通り、坂口安吾を知る人は「私もまったく真珠湾」に不快な念は覚えなくても、身内を亡くした人なら、やはりこの表現に、不快や不安を取り除くことはできないでしょう。

詩歌においても、実際に固有名詞は、言葉として以上のイメージを伴っていることは周知の事実です。

単なる表現の良し悪しや、文学的見地や宣伝効果というだけではなく、それとは別種の基準がまた言葉にはあるということも忘れてはならないことでしょう。




付記-坂口安吾の写真

ちなみに、坂口安吾の写真を撮影したのは、林忠彦です。

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『机と布団と女』のある部分

坂口安吾の該当箇所はというと

ところが彼は奇襲作戦によって、突如として私の自宅を襲い、物も言わず助手と共に撮影の用意をはじめ、呆気にとられている私に、
「坂口さん、この写真機はね、特別の(何というのだか忘れたが)ヤツで、坂口さん以外の人は、こんな凄いヤツを使いやしないんですよ。今日は特別に、この飛び切りの、とっときの、秘蔵の」
と、有りがたそうな呪文をブツブツ呟きながら、組み立てゝ、
「さア、坂口さん、書斎へ行きましょう。書斎へ坐って下さい。私は今日は原稿紙に向ってジッと睨んでいるところを撮しに来たんですから」
彼は、私の書斎が二ヶ年間掃除をしたことのない秘密の部屋だということなどは知らないのである。
彼はすでに思い決しているのだから、うなると、私もまったく真珠湾で、ふせぐ手がない。二階へ上る。書斎の唐紙をあけると、さすがの林忠彦先生も、にわかに中には這入られず、唸りをあげてしまった。
彼は然し、写真の気違いである。彼は書斎を一目見て、これだ! と叫んだ。

 

バーのカウンターの高い椅子に座る太宰治や、織田作之助のポートレートなど、文学ファンにとっては見慣れた写真も皆同じ写真家の手によるものです。

私たちは、文章以外はいずれも彼の写真によってそれらの作家を知ったといえるでしょう。

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