万葉集

万葉集の有名な女性歌人の恋愛の和歌10首 大伴坂上郎女,笠郎女,狭野茅上娘子

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万葉集の恋の歌、このページは万葉集の代表的な相聞の女性の歌人である、大伴坂上郎女、笠郎女、狭野茅上娘子の10首をご紹介します。

3人の女性歌人は、恋愛の和歌、相聞歌をたくさん残しました。万葉集の恋の歌の有名なものをご紹介します。

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万葉集の恋の歌

万葉集は一大恋愛歌集といっても過言ではありません。男性の求愛の歌は勿論ですが、女性の歌人、女流歌人の相聞も優れたものが見られます。

万葉集の代表的な女流歌人の恋の歌から大伴坂上郎女、笠郎女、狭野茅上娘子の代表作をご紹介します。

 

来むと言ふも来ぬ時あるを来じと言ふを来むとは待たじ来じと言ふものを

読み:こむというも こぬときあるを こじというを こむとはまたじ こじというものを

作者

大伴坂上郎女 (おおとものかさかのうえのいらつめ)

大伴坂上郎女は「万葉集」の代表的な歌人で大伴旅人の異母妹

現代語訳

「行こう」とおっしゃっても、来ない時があるのですもの。まして「行くまい」とおっしゃったのですもの、私が待つことはありますまいよ。「行くまい」とはっきり言われたのですものね

解説

藤原麻呂と贈答した歌の一首。女流歌人の機微にあふれた歌です。言葉の技巧を用いて、言い回して相手を煙に巻こうとしたユーモラスな歌です。

 

今は吾は死なむよ我が背生けりとも我に依るべしと言ふと言はなくに

読み:いまはあは しなんよわがせ いけりとも あによるべしと いうといわなくに 0684

作者

大伴坂上郎女 (おおとものかさかのうえのいらつめ)

現代語訳

もう私は死んでしまいます。生きていても、あなたがあたしの方へ心を向けてくださるというわけではないのですもの

解説

大伴郎女は何度も結婚をしたので、誰かはわかりませんが、交際相手の一人へ宛てたとされています。本当に死にたいというよりも、男性の心をたしなめた歌です。

「言うと言わなくに」というのは、万葉集に多くある、言い回しの一つ。「いうわけではないので」「言わないので」という意味です。2句切れ。

 

心ぐきものにぞありける春霞たなびく時に恋の繁きは

読み:こころぐき ものにぞありける はるがすみ たなびくときに こいのしげきは 1450

作者

大伴坂上郎女 (おおとものかさかのうえのいらつめ)

現代語訳

こころが痛んでならないのです。春霞のたなびくときに、焦がれる心がいっぱいなのは

解説

「心ぐき」は、心が感傷的になって、つらいという意味。「恋のしげき」の「しげき」は激しいことです。
「春霞」というのは、霞がかかる季節ということで、心の晴れない様子を表しています。




君に恋ひ甚(いた)もすべ無み奈良山の小松がもとに立ち嘆くかも

読み:きみにこい いたもすべなみ ならやまの こまつがもとに たちなげくかも0593

作者

笠郎女 (かさのいらつめ)

現代語訳

あなたに恋い焦がれて、どうしようもなく、いたずらに奈良山の小松の元で、ため息をつきながら立ち続けていることです

解説

笠郎女が大伴家持に贈った二十四首の相聞歌の中の一つ。

家持の熱は次第に醒めて行ったらしく、それを嘆く歌が多く収録されています。
奈良山はならの丘のこと、底から見下ろせる佐保ということころに、家持の家があったので、相手の家を見下ろしている様子を詠ったものです。

もちろん、女歌の技巧として、歌っているもので、事実とは限りませんが、送られた方は驚くかもしれません。

 

人皆を寝よとの鐘は打つなれど君をし思(も)へば眠(い)ねがてぬかも

読み:ひとをみな ねよとのかねは うつなれど きみをしもえば いねがてぬかも  0607

作者

笠郎女 (かさのいらつめ)

現代語訳

すべての人を、寝よといって打つ鐘の音は聞こえるけれども、あなたを思っているとねつかれないことです。

解説

同じく大伴家持に送った歌。
鐘の音を聞きながらも、相手が隣に居ない夜なので、思いが切れ切れに沸き起こって眠れないと訴えているのです。

言葉のリズムが良く整っている歌です。三句目の「打つなれど」の転換の間合いがいいです。

 

相思はぬ人を思ふは大寺の餓鬼の後(しりへ)に額(ぬか)づく如し

読み:あいおもわぬ ひとをおもうは おおでらの がきのしりえに ぬかずくごとし

作者

笠郎女 (かさのいらつめ) 0608

現代語訳

思い合っていない人を片思いだけしているのは、大寺の餓鬼の像のうしろに頭を下げて拝んでいるようなもので、むなしいことです

解説

痛切な歌。「餓鬼のしりえ」という言葉が強い印象です。送られた家持も驚いたことでしょうが、この歌を自分の歌日記、ひいては万葉集に収録しました。

家持にとっては良い歌ではありませんが、作者の思い切った読みぶりは注目されます。

 

心ゆも我(あ)は思(も)はざりき又更に我が故郷に還り来むとは

読み:こころゆも あはもわざりき またさらに わがふるさとに かえりこんとは

作者

笠郎女 (かさのいらつめ) 0609

現代語訳

本当に私は思ったことがありませんでした。こうして再び自分の故郷に帰ってこようとは

解説

家持と分かれて故郷へ帰った作者笠郎女。帰郷がどうというこよりも、そのままを詠っています。

つまり、家持の屋敷に同居できると思っていたのに、結婚が成らなかったので、里へ帰ったこと、その嘆きを表したものです。

笠郎女は、万葉集に家持との相聞三十首足らずの歌だけが収録されています。

 

あしひきの山道越えむとする君を心に持ちて安けくもなし





読み:あしひきの やまじこえんと するきみを こころにもちて やすけくもなし

作者

狭野茅上娘子 さののちがみのおとめ  3723

現代語訳

これから山路を越えて越前の国へ行こうとするあなたの姿を、心の中に保っていて、とても落ち着けようもございません

狭野茅上娘子は宮中の女官でしたが、中臣朝臣宅守(なかとみのあそんやかもり)と通じたことが発覚したために、宅守が罰せられて越前へ流されてしまいました。

解説

都に残った娘子と交わし合ったとされる歌、36首が万葉集に収録されています。

越前、今の新潟県に行く道は、雪深い険しい山で、流人としてその山を越えなければならない相手を思っていたたまれない心情を詠ったものが胸を打ちます。

 

君が行く道の長手を繰り畳み焼き滅ぼさむ天(あめ)の火もがも

読み:きみがいく みちのながてを くりたたね やきほろぼさん あめのひもがも

現代語訳

あなたが流されておいでになる道の長い距離、それをつる草のようにこの手にたぐり寄せて焼き滅ぼしてしまいたい。そのような天から降ってくる火がほしいものです。

解説

当時の農村の「山刈り」には、つる草を手繰り寄せて焼いていしまうという風習があったようで、「繰り畳み焼き滅ぼさむ」というのは想像上の言葉ではなく、実際の情景を浮かべることができたものです。

つまり、単なる比喩ではなく、生活上の実感がこもっているといえます。

しかし、この語気はたいへん強いもので、相手の行く道、別れの道をなくしてしまいたい、という思いの強さを表しています。

 

天地の極(そこひ)の裡(うら)に吾(あ)がごとく君に恋ふらむ人はさねあらじ

読み:あめつちの そこいのうらに あがごとく きみにこうらん ひとはさねあらじ3750

現代語訳

天地の果てのそのまた末においても、私のように君に恋をしている人は他にはありますまい

解説

この世の中に、あなたを愛する人は私だけであるという表現です。また、このように強く人を思うという感情が他にはないだろうともいう意味です。

片方が流罪となるのは特殊な状況ですので、このような強い思いを表す言葉が自然に生まれたものとも思われます。

 

帰りける人来たれりと言ひしかばほとほと死にき君かと思ひて

読み:かえりける ひときたれりと いいしかば ほとほとしにき きみかとおもいて

現代語訳

流された人たちが許されて帰ってきた、と人々が言っているので、私はあやうく死にそうになってしまいました。

あなたが帰ってこられたのかと思って

解説

大赦令というのが、天平12年にあって、多くの人が許されて帰ってきたというのですが、残念ながら宅守は帰っては来られなかったようです。

「ほとほと死にき」は、ほとんど死にそうだったという意味。

今ならば「倒れてしまった」というような状況だと思いますが、「死に」というインパクトのある言葉を使った誇張的な表現です。

 

万葉集の恋の歌、このページは万葉集の代表的な相聞の女流歌人である、大伴坂上郎女、笠郎女、狭野茅上娘子の10首をご紹介しました。

続きは
万葉集の有名な恋の短歌30首(1)額田王,柿本人麻呂,大津皇子,石川郎女
万葉集の有名な恋の和歌30首(2)柿本人麻呂歌集より

 

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