江田浩司歌集『重吉』 が朝日新聞8月18日号の歌集紹介の「風信」欄に 紹介されていました。
「詩人・八木重吉の御霊(みたま)にささげられた歌集」ということです。歌集の内容をご紹介します。
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江田浩司歌集『重吉』 八木重吉を詠う
朝日新聞8月18日号の歌集紹介の「風信」欄に、江田浩司歌集『重吉』が取り上げられました。
そこに載っていたのは、
すぎし日のあをぞらまぶしいたづらに夏の野をゆくこころのままに
という歌でした。
重吉の詩心がそのまま映し出されたような作品です。
あとがきには
もの心がついてから今まで、重吉の詩はわたしのかたわらにいつもあった。重吉の詩になんど慰められたことか。生きてゆく勇気を与えられたことか。わたしの弱さが重吉の詩によって、弱さのままわたしを救うこともあった。わたしは感謝してもしきれない詩恩を重吉からうけている。
と記されています。
作者は、「八木重吉ーさいわいの詩人(うたびと)-」展が開された折、「1年間、重吉の歌を詠うことを思い立った」というのです。
作者の江田浩司歌人とは、どのような方なのか知りたくなりました。
歌人江田浩司の短歌
作者の歌人江田浩司さんは、短歌誌「未来」の編集委員ということで、これまでの歌は、重吉に似ているということではなく、多作で実験的、重厚な作品が多いです。
黙示とは凍てうつくしき鶴にして海の蒼さに染まりたる声
声からは人消えゆきてかなしくも逃散をする月の光の
月の光燃える魚類の劇場の鰭の冷たさ冬の森呼ぶ
しかし、これらの作品にも見られる叙情や詩心も、八木重吉の作品と無縁ではないのだと思われます。
江田浩司歌集『重吉』の収録作品
それでは、「八木重吉の御霊(みたま)にささげられた歌」とはどのようなものかというと、下のような作品です。
かなしみを糧にいきたる人ありてちひさな種をはるにはまくよ
くだものさへ殺さず生きてゆきたいとあかいあしたにゆつくりあゆむ
ほんたうの詩をつくりたしうつくしい瞳となりて沼にかがよふ
「かなしみを糧にいきたる人」というのは、八木重吉のこと。
重吉は、「かなしみ」を繰り返し繰り返し詩に詠みました。
はらへたまつてゆく かなしみ
---八木重吉
かなしみは しづかに たまつてくる
しみじみと そして なみなみと
たまりたまつてくる わたしの かなしみは
ひそかに だが つよく 透きとほつて ゆく
こうして わたしは 痴人のごとく
さいげんもなく かなしみを たべてゐる
いづくへとても ゆくところもないゆえ
のこりなく かなしみは はらへたまつてゆく
この詩の「さいげんもなく かなしみを たべてゐる」のところが、歌人が「かなしみを糧に」と詠むゆえんでしょう。
2首目「くだものさへ殺さず生きてゆきたい」は、重吉は敬虔なクリスチャンでしたので、命というものへの敏感さから、詩稿に「できることならくだものさへ殺さずに行きたい」とあった箇所です。
しかしながら、次の詩の言葉も見落とせません。
人を 殺さば
---八木重吉
ぐさり! と
やつて みたし
人を ころさば
こころよからん
3首目、「うつくしい瞳」には「母の瞳」そして、重吉の詩集のタイトル、『秋の瞳』を思い出します。
母の瞳
ゆうぐれ
瞳をひらけば
ふるさとの母うえもまた
とおくみひとみをひらきたまいて
かわゆきものよといいたもうここちするなり
八木重吉の詩には、クリスチャンであることが欠かせないものとなっています。
歌人はこの点はどうなのかというと、
はるの風くさにすわりてふかれつつ神よとほそい枝につぶやく
まつの木のねもとに露のひかりありしんしんとながれくるきりすと
これらの歌を見てみると、あるいは、作者も信仰をお持ちの方なのかもしれません。
そして、重吉に向かって二人称で呼びかける下の歌、
「森のような詩がつくりたい」とあなたはいふうすい日のさす冬のはじめに
もうずつとあなたに話しかけてゐたやすらかな死はふゆの顔から
歌人が重吉の詩を読み始めたのは、あとがきによると「ものごころついてから」。
そして、これらの詩の多くは、重吉の死後に刊行されました。
重吉の妻である登美子夫人は、後に吉野秀雄に嫁ぎ、吉野秀雄が重吉の詩稿を見て、世に出すことに尽力したのです。
妻による重吉の伝記と、その次第は下の本に。
終りに
ひとつのテーマだけで、歌を詠み続けるというのは大変なことです。
そのような実験的ともいえる試みも本歌集の特色ですが、それよりもやはり、八木重吉のファンの人には、この歌集の数々の歌にちりばめられた重吉の”たましい”に触れることには深い喜びを伴います。
重吉の詩を知る人にも、知らない人にも読んでほしい歌集です。