吉野秀雄は妻を病で失い、家族を結核ですべて亡くした八木重吉の妻登美子と再婚します。
吉野秀雄の妻登美子を詠んだ短歌と二人の出会いをご紹介します。
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吉野秀雄と八木登美子
吉野登美子は、詩人の八木重吉の妻でした。
しかし、重吉は結核で若くして逝去。あろうことか、二人の子供たちも相次いで夫と同じ病で亡くなってしまいます。
吉野秀雄と妻
一方、吉野秀雄の方も、若くして胃がんで妻を亡くしていました。
その最後の夫婦の交情を詠んだ歌は、吉野秀雄の代表作として大変よく知られています。
吉野秀雄の代表作短歌
真命(まいのち)の極みに堪へてししむらを敢えてゆだねしわぎも子あわれ
読み:まいのちの きわみにたえて ししむらを あえてゆだねし わぎもこあわれ
一首の意味:
死に瀕している妻がつらさをこらえて私と結ばれようと、体を私にゆだねた、その妻のあわれなことよ
上の歌の詳しい解説は下の記事に
吉野秀雄が妻登美子と再婚するまで
登美子は身の回りの品と重吉の遺稿を持って、最初吉野家のお手伝いとして家に入りました。
母を亡くした吉野の子どもたち、とくに長女はなかなか登美子を認めませんでしたが、とうとう再婚することがかなったと言います。
その後、当時はまだ無名であった重吉の真価を認めた吉野秀雄は、その詩を世に出すべく精を傾けました。
その遺稿の整理に、吉野家の子供たちが清書を手伝ったとも言われています。
両親が病身の家庭で長く育った子供たちには、あるいは力を合わせることが当然のことであったのかもしれません。
子を亡くした登美子も、今在る子供たちに精一杯尽くしました。登美子は亡き重吉と共にクリスチャンであり、信仰を持つ人でもありました。
吉野秀雄が妻を詠んだ短歌
吉野秀雄が再婚の際に妻登美子を詠んだ歌。
恥多きあるがままなる我の身に添はむとぞいふいとしまざれや
重吉の妻なりし今の我が妻よためらわず彼の墓に手を置け
我が胸のそこひに汝の恃(たの)むべき清き泉のなしとせなくに
三首目は「自分の心の奥底にあなたが頼りとするべき清い泉が、ないということのないように」との意味。
子を亡くした母、母を亡くした子、共に連れ合いを亡くした夫と妻が寄り添い、いたわりつつ生きる家族の絆がことごとく美しく表されています。
吉野秀雄【よしのひでお】
吉野 秀雄(よしの ひでお、1902年(明治35年)7月3日 - 1967年(昭和42年)7月13日)は、近代日本の歌人・書家・文人墨客。号は艸心。多病に苦しみながら独自の詠風で境涯の歌を詠んだ。多数の美術鑑賞や随筆を残し、書家としても知られている。歌集《苔径集》《寒蝉集》《吉野秀雄歌集》等 ―出典:吉野秀雄 wikipedia フリー百科事典