詩歌

「素朴な琴」八木重吉の詩 早世したクリスチャン詩人の清澄な詩作品

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八木重吉の詩「素朴な琴」、今日のような秋の日になると毎年決まって思い出す詩です。

八木重吉の「素朴な琴」をご一緒に読み、鑑賞しましょう。

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八木重吉の詩「素朴な琴」

空気が澄んだように感じられる秋の日、日差しのふりそぐ中にいると、きまって思い出す詩があります。

それが、八木重吉の詩、「素朴な琴」です。

「素朴な琴」八木重吉

この明るさのなかへ
ひとつの素朴な琴をおけば
秋の美しさに耐えかねて
琴はしづかに鳴りいだすだらう

素朴で奇をてらったところや、思わせぶりなところが何一つない、小さな4行詩です。

秋の美しさに、琴が共鳴して鳴りだすという、視覚と聴覚に訴えかけるイメージを伝えるこの詩は、一度読んだら忘れられないでしょう。

「素朴な琴」というのは、大きなハープではなくて、小さな竪琴のような琴なのでしょうか。

重吉は英語の教師でしたので、英詩からのイメージであったかもしれませんね。

ギリシャの神々が奏でたという、あの竪琴のようなものです。

そして、短いこの詩自体が、光あふれる野の草かげに、そっと置かれているこの琴であるかのようです。

秋の美しい光に唱和して、重吉も琴の音が響くように、自らも何かを訴えたい気持ちになり、この詩を記したのでしょうか。

この詩を作った作者が、八木重吉という人です。

八木重吉はどんな詩人か

八木重吉は、クリスチャンであり、職業は学校の教師。

同じく教師をしていた、妻登美子を娶り、二児をもうけますが、胸の病に倒れてしまいます。

登美子の懸命の看病と祈りもむなしく、重吉はこのような短い詩をたくさん残して、29歳で亡くなってしまいました。

1冊目の詩集『秋の瞳』刊行後も、生前はほとんど世に知られず、亡くなってから、2冊目の詩集『貧しき信徒』が刊行されました。

上の詩は、2冊目の「貧しき信徒」の方に収録されています。

『秋の瞳』を生前に刊行

私は友が無くては、耐えられぬのです。しかし、私にはありません。この貧しい詩を、これを読んでくださる方の胸へ捧げます。そして、私を、あなたの友にしてください」

そう、前書きしたのが、大正14年刊行、重吉が生前に刊行した詩集『秋の瞳』です。

雲 八木重吉

くものある日
くもは かなしい
くものない日
そらは さびしい

一冊目の『秋の瞳』は観念的な詩もあるのですが、2冊目の『貧しき信徒』では、詩の方法の迷いが消えて、単純で明澄な詩が多く収録されています。

花 八木重吉

花がふってくると思う

花が降ってくるとおもう

このてのひらにうけとろうとおもう

『貧しき信徒』より「母の瞳」「果物」

私が個人的に好きなのは、母を詠った詩です。『貧しき信徒』の冒頭の

母の瞳

ゆうぐれ
瞳を日ひらけば
ふるさとの母うえもまた
とおくみひとみをひらきたまいて
かわゆきものよといいたもうここちするなり

果物 八木重吉

もう一つの秋をうたう詩

果物

秋になると
果物はなにもかもわすれてしまって
うっとりと実のっていくらしい

果物の擬人化された内面が、なんともほほえましいです。

虫 八木重吉

そして、秋といえば虫の音。

悲しくも、虫の声に重吉は自分のことも重ねて聞いていたようです。

虫が鳴いてる
いま 鳴いておかなければ
もう駄目だという風に鳴いてる
しぜんと涙をさそわれる

もうこの時には、重吉の病気は結核であることがはっきりしており、「いま 鳴いておかなければ」の虫の音は、重吉にとっての詩であったのかもわかりません。

早世した重吉が、「この貧しい詩を、これを読んでくださる方の胸へ捧げます。そして、私をあなたの友としてください」といった、重吉の詩を秋の日にはめくってみてください。

できれば、これからもずっと。





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