海恋し潮の遠鳴りかぞえては少女となりし父母の家 与謝野晶子  

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海恋し潮の遠鳴りかぞえては少女となりし父母の家 与謝野晶子

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海恋し潮の遠鳴りかぞえては少女となりし父母の家

与謝野晶子の有名な短歌代表作品の現代語訳と意味、句切れと修辞、文法や表現技法などについて解説、鑑賞します。

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海恋し潮の遠鳴りかぞえては少女となりし父母の家

読み:うみこいし しおのとおなり かぞえては  おとめとなりし ちちははのいえ

作者と出典

与謝野晶子『みだれ髪』

現代語訳

海が恋しい 遠く伝わる海の波音を聞きながら、少女から娘へと育っていったあの父母の家が

 

文法と語の解説

・初句切れ

・潮の遠鳴り…潮は海の浪の音 遠鳴りは、波の音が遠くから響いてくること

・かぞえては・・・「かぞふ」が基本形の動詞

・をとめとなりし・・・をとめ「乙女」は「少女」の意味もあるが、ここでは若い娘との意味

・父母の家・・・実家のこと

表現技法

・「海恋し」の初句切れで、印象的に一首を始めている

・「父母の家」は体言止め




与謝野晶子の生家と海からの距離

〒590-0950 大阪府堺市堺区甲斐町西1−1

与謝野晶子の生家は阪堺電気軌道「宿院駅」からすぐの歩道上にあり、現在は家はなく、この歌の刻まれた歌碑がある。

上の地図上で見ても、大阪湾にも近いところで、実際にも海の音が聞こえたに違いない。

 

解説と鑑賞

作者の生家を懐かしんで歌う一首。

一首は、「父母の家が恋しい」のではなくて、普遍的でもある「海」にポイントを当て、初句切れで歯切れよく、「海が恋しい」と詠嘆の口吻そのままのように、恋い慕う気持ちを伝えて始まる。

「遠鳴りを数える」とは

「数えては」は、数を数えるのではなしに、波の音一つ一つをいつくしむような様子がうかがえる。

待ち遠しい日を待つのに「日を数える」というのと同じ用法だろう。

少女期を過ごした家

「をとめとなりし」の「乙女」は、少女期を過ぎた、若い女性である時期を言う。生家と同様に、通り過ぎた年月と故郷をも懐かしむ気持ちを伝えている。

また生家を単に「家」とするのではなく、「父母の家」とすることで、より守られて育った、幼い可憐な少女期を類推させる。

今は作者はその時期を通り過ぎて、「海」「父母の家」として、自分の育った家庭を懐かしむということで、大人になった作者の姿も読み手に同時に想像させられるものとなっている。

この歌を読み終える読者もまた、作者と共に、一つのイニシエーション、青春期から大人への通過を果たし、故郷と若き日を懐かしむ気持ちになるに違いない。

「遠い潮鳴り」は、ロマンを感じさせる言葉で、海の音が遠くから伝わることとを表しているのだが、この「遠い」は、むしろ遠ざかってしまった青春期への時間的な間隔をも含んでいる。

その「遠い」に読み手もまた耳を澄まし、胸の奥深くに鳴り響くかのような、過ぎ去った時代への感慨を呼び起こすことができるのも、この歌の詠み手を魅了するところなのである。

与謝野晶子の少女期とは

晶子は上の地図の通り、和菓子商の三女として生まれ、多感な少女時代を堺で過ごしました。

千利休の家も近くにある、文化人を多く輩出した街です。

そこに会って、晶子は12歳の頃には、早くも源氏物語を詠んでいたようで、

源氏をば十二三―にて読みしのち思はれじとぞ見つれ男を

の回想が歌に詠まれています。

短歌を始めたのが10台、新試社に投稿をしたのが、22歳の時だったといいます。

鉄幹との恋愛が同時期で、やはり、鉄幹との恋愛によって与謝野晶子の才能は大きく花開きました。

歌を詠んだ時には、鉄幹と結婚することを思い定めていたと思われますから、少女期を過ごした父母の家をしみじみと懐かしむ思いも、またその頃に胸に湧き起ってきた思いであったのかもしれません。

一方で、与謝野鉄幹は、はじめて会ったころの少女の晶子を思い出して、次のように歌に詠んでいます。

髪さげしむかしの君よ十とせへて相見るゑにし浅しと思ふな




-与謝野晶子

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