「古(いにしへ)の人に我れあれや楽浪(ささなみ)の古き都を見れば悲しき」
高市黒人の有名な和歌、代表的な短歌作品の現代語訳と句切れと語句、黒人の短歌の特徴と合わせて解説します。
羈旅歌の詩情豊かな抒景歌の中でも愛好される一首です。
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古の人に我れあれや楽浪の古き都を見れば悲しき
読み:いにしへの ひとにわれあれや ささなみの ふるきみやこを みればかなしき
作者と出典
高市古人 万葉集1巻・32
現代語訳
私は古の人間だからだろうか。近江の古い都を見るとこんなにも悲しいというのは
万葉集の原文
古 人尓和礼有哉 楽浪乃 故京乎 見者悲寸
句切れ
「我れあれや」のところで 2句切れ
語と文法
・古…いにしえ かなたに過ぎ去ってしまった昔。往時
・我あれや…「をり」の連用形+疑問の終助詞「や」
・ささなみ…さざなみの立つ古い都だが、ここでは近江宮を指す
・「悲しき」は連体形 基本形は「悲し」
高市黒人の全作品は下の記事に
高市黒人の万葉集の全短歌19首と特徴「詩情豊かな抒景歌と孤愁」
解説と鑑賞
高市黒人の有名な歌、代表的な作品の一つ。
柿本人麻呂作の近江荒都歌
この歌は柿本人麻呂作の 柿本人麻呂作の近江荒都歌と呼ばれる「楽浪の国つ御神のうらさびて荒れたる都見れば悲しも」の次に編集されている。
近江宮はその歌にもあるように既に滅びてしまった都の跡であり、黒人作も荒れた都の跡を見た感慨と感傷とを詠んだもの。
「古の人に我あれや」の主観句
「古の人に我あれや」というのは、描写ではなく、荒れ果ててしまった都の景色を前にして、自分自身の心に湧き起った感情と、その感情の大きさをいぶかしむ自己省察を表している。
それゆえ、心の重層的な構造を前面に押し出している、万葉集においても内面性の深さを表す稀な句と言える。
作者氏自身が感じるもの、その自分の悲しみの深さを省察して言い表すという、その心の多重性と、「今の私」と「古の私」との一対が、近江の宮の古と現在の時とも重なる。
「古の人に我あれや」の意味
上句の意味を詳しく言うと
「まるでその都が栄えていたころを知る人であるかのように、私が今の都の姿にこうも悲しみを感じるのは、もしかしたら、私がその古代のひとだったからではないだろうか」
というもので、自分の時間軸におけるアイデンティティーを問い直すに至るような、感情の大きさ故の自身の心の揺らぎを表した。
さらにその感情は、直截にぶつけられるものではなく、自身に問い直すという沈潜した形で控えめに表現されるものとなっている。
上句の12文字の間にそのように言い表しているのが素晴らしくその表現が「黒人らしい」ところでもあり、この歌が愛される所以でもあるだろう。
またストレートな表現が多い万葉集の歌においては、心の複層性を表すような複雑な表現は、それほど見られず、珍しいものであるように思われる。
斎藤茂吉の『万葉秀歌』の評
斎藤茂吉のこの歌への評は、「いにしへの人にわれあれや」を「相当に良い主観句で棄てがたいところがある」と述べながら、
これらの主観句は、切実なるが如くにして切実に響かないのは何故であるか。これは人麻呂ほどの心熱がないということにもなるのである。
と人麻呂との比較において、厳しく述べている。
一首の持つ陰影
『セミナー万葉の歌人たち』でこの歌を解説した菊川恵三氏は、やはり人麻呂との比較について触れるが、そこを黒人短歌の特質として 次のように述べる。
求め続けたものが失われた絶望を、何のためらいもなくぶつけるかのような人麻呂の荒都歌とは対照的なのである。 そこには人麻呂のようなドラマはないが、自己と対象との距離からくる陰影がある。それは論理の明晰さとは対照的に、 感情のゆらぎを通して我々に迫る。それが黒人の羈旅歌で特徴的に現れる「孤愁」というものとつながっていくのである
「孤愁」はこの歌だけにではなく、高市黒人の作品のテーマというべき特徴の一つとなっているので、続く短歌で見ていきたい。
作者名「古人」の理由
この一首の万葉集における作者名は「高市古人」となっているが、その下の注記に「高市連黒人」との名前の記載があるので、歌の書き出しの「古人」を名前と誤読したためではないかと言われており、黒人の作品とされている。