わびぬれば今はた同じ難波なるみをつくしてもあはむとぞ思ふ 元良親王の百人一首に選ばれた有名な歌の解説、鑑賞をします。
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わびぬれば今はた同じ難波なるみをつくしてもあはむとぞ思ふ
わびぬれば いまはたおなじ なにわなる みをつくしても あわんとぞおもう
作者と出典
元良親王(もとよししんのう)
百人一首 古今和歌集 他
現代語訳:
このようにあなたに会いたいと思って思い煩って暮らしているなら、身を捨てたのと同じこと、、あの難波にあるみおつくしという名前のように、なんとしてもあなたにお会いしたいと思っています。
表現技法と語句の解説
わびぬれば | 「わび」は動詞「わぶ」の連用形。「想いわずらい悩む」の意味。 「ぬ」は完了の助動詞。 |
今はた | 「はた」は「また」に同じ。読みは「ハタ」 |
難波なる | 難波(なにわ)にあるの意味 難波は現在の大阪 |
みをつくしても | 「澪漂(みおつくし)」と「身を尽くす」の掛詞 |
澪標 | 海に建てられた船用の標識 |
会わむとぞ思ふ | 会わんの「む」は未来の意思を表す助動詞 |
掛詞の箇所
「澪漂(みおつくし)」と「身を尽くす」
前者は名詞。後者は「自分のすべてをそのために捧げる。 身を捧げる」の意味で、会うことへの強い願望を表している。
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掛詞 和歌の表現技法を具体的用例をあげて解説
解説と鑑賞
作者である、元良親王は宇多上皇の后・京極御息所と愛し合っていました。
しかし、夫である宇多上皇の知るところとなり、会うことがもはやかなわなくなったときに、親王が詠んだ歌とされています。
澪標(みおつくし)は難波の名物であり、その言葉を掛詞として取り入れ、自分の心のありようを外の事物にたぐえて表した見事な歌とされています。
元良親王はどんな人?
不倫の恋の悩みを詠った歌ですが、親王に関する記述には、
「極(いみじ)き好色にてありければ、世にある女の美麗なりと聞こゆるは、会ひたるにも未だ会はざるにも、常に文を遣るを以て業としける」
という箇所があります。
意味は、「恋愛を好むたちで、美人だといううわさを聞けば、会った人にもまだ会わない人にも、必ず手紙を書くという性情だった」というのですから、あるいは、天皇の妻とは言えど、アバンチュールのひとつであったのかもわかりません。
しかし、そのような人であったがために、恋愛の歌が百人一首にも採られて、後世に残るところとなっています。
元良親王の他の和歌
あま雲のはるばるみえし峰よりもたかくぞ君を思ひ初そめてし
来や来やと待つ夕暮と今はとてかへる朝といづれまされり
君をまたうつつに見めや逢ふことのかたみにもらぬ水はありとも
逢ふことは遠山ずりの狩衣きてはかひなき音をのみぞなく