百人一首の有名で代表的な和歌・短歌20首をご紹介します。
百人一首は藤原定家が書いた色紙が元になっているもので、その絵柄を元にした”歌かるた”でよく知られています。
百人一首の代表的な歌20首を現代語訳付でご紹介します。
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『百人一首』とは
百人一首(ひゃくにんいっしゅ、ひゃくにんしゅ)とは、100人の歌人の和歌を、一人一首ずつ選んでつくった秀歌撰、つまり歌集のことです。
よって、百人一首は、ひとつだけでなく、いろいろな百人一首があるわけですが、一般的に「百人一首」と呼ばれて知られているのは、「小倉百人一首」のことです。
小倉百人一首は藤原定家が編纂
この小倉百人一首は、飛鳥時代の天智天皇から鎌倉時代の順徳院までの古今の和歌から、藤原定家が選んで編纂をしました。
歌を選んだ目的は、歌と絵柄を使ったふすまを装飾する色紙とするというものでした。
それを、親友の宇都宮入道蓮生から依頼を受けた定家が作成、百人一首として定着したものです。
完成は、和歌百首が嵯峨の小倉山の山荘の障子に貼られた1235年6月14日のことでした。
その後は、ふすま絵ではなく、「歌がるた」として定着し、広まったものが、今もよく知られている百人一首なのです。
藤原定家の代表作については
見渡せば花も紅葉もなかりけり浦の苫屋の秋の夕暮れ 藤原定家「三夕の歌」
…
百人一首の和歌 代表作
百人一首の有名な歌だけを、現代語訳をつけて紹介します。
秋の田の かりほの庵の 苫をあらみ わが衣手は 露にぬれつつ
あきのたのかりほのいおのとまをあらみ わがころもでは つゆにぬれつつ
作者:
天智天皇
現代語訳:
秋の田の傍にある仮小屋の屋根を葺いた苫の目が粗いので、私の衣の袖は露に濡れてゆくばかりだ
・万葉集もある天智天皇の有名な短歌です。
この歌について詳しく詠む:
秋の田のかりほの庵の苫をあらみわが衣手は 露にぬれつつ/天智天皇
来ぬ人を まつほの浦の 夕なぎに 焼くや藻塩の 身もこがれつつ
作者:
藤原定家
現代語訳:
松帆の海岸で、夕方に焼かれる藻塩みたいに、来ない相手を待つ私の心も恋い焦がれているのだよ
※ 百人一首の編纂者である藤原定家の歌です
「松」は「待つ」と同音で、両方の意味を持ちます。
このようなものを「掛詞」(かけことば)といいます。短歌の技法の一種です。
春すぎて 夏来たるらし 白妙の 衣ほすてふ 天の香具山
読み:はるすぎて なつきたるらし しろたえの ころもほすてう あめのかぐやま
作者:
持統天皇
現代語訳:
春が過ぎて夏となったようだ。香具山に白い衣が干してあるのが見える
注釈:
持統天皇は女性の天皇で、内容も女性らしい着眼点があります。
百人一首では「夏来にけらし」は、万葉集では「夏来たるらし」となっています。
この歌について詳しく詠む:
春過ぎて夏来るらし白たへの衣干したり天の香具山/持統天皇/万葉集解説
あしびきの 山鳥の尾の しだり尾の ながながし夜を ひとりかも寝む
あしびきの やまどりのおの しだりおの ながながしよを ひとりかもねん
作者:
柿本人麻呂
現代語訳:
山鳥の尾の垂れ下がった尾が長々と伸びているように、秋の長々しい夜を一人で寝ることになるのだろうか
注釈:
この歌も万葉集にあります。
「あしびきの 山鳥の尾の しだり尾の」までは、長いことを導くための序詞(じょことば)というものです。
当時の山鳥というのは雉でしょうか。誰もが「長い」を視覚的に思い浮かべられるものなのでしょう。
この「序詞」も短歌の技法のひとつです。
この歌について詳しく詠む:
あしびきの山鳥の尾のしだり尾のながながし夜をひとりかも寝む/柿本人麻呂
田子の浦に うち出でてみれば 白妙の 富士のたかねに 雪は降りつつ
たごのうらに うちいでてみれば しろたえの ふじのたかねに ゆきはふりつつ
作者:
山部赤人
現代語訳:
田子の浦に出かけてながめてみると、富士山のてっぺんに、真っ白な雪が降っていることだ
注釈:
この歌も万葉集から選ばれたもので、山部赤人の有名な叙景歌です。
天の原 ふりさけ見れば 春日なる 三笠の山に 出でし月かも
あまのはら ふりさけみれば かすがなる みかさのやまに いでしつきかも
作者:
安倍仲麿
現代語訳:
空のはるか遠くを眺めれば、奈良の春日にある三笠山で見た月と同じ月が昇っているのだなあ
注釈:
「春日なる」の「なる」は「春日にある(月)」の意味です。
月にかかる形容詞句なので、ここは句切れではなく、この歌は句切れなしです。
花の色は 移りにけりな いたづらに 我身世にふる ながめせしまに
はなのいろは うつりにけりな いたずらに わがみよにふる ながめせしまに
作者:
小野小町
現代語訳:
桜の花はむなしく色あせてしまった。空しくも過ごす私の容色が衰えてしまったように
注釈:
小野小町の有名な歌です。「いたづらに 我身世にふる」とは、やはり恋が成就しないことをいっているのでしょう。
この歌について詳しく読む:
花の色は移りにけりないたづらにわが身世にふるながめせしまに/表現技法と解説
わが庵は 都のたつみ しかぞすむ 世をうぢ山と 人はいふなり
わがいおは みやこのたつみ しかぞすむ よをうじやまと ひとはいうなり
作者:
喜撰法師
現代語訳:
私の庵は都の東南にあり、このように心静かに暮らしている。それにもかかわらず、私が世を憂いて宇治山に引きこもったと世間の人は言っているようだ
注釈:
3句切れ
「しか」は「このように」の意味。
喜撰法師は平安初期の僧で歌人。六歌仙の一人。
宇治山に隠棲し、仙人になったと言われてます。
この歌について詳しく読む:
わが庵は都のたつみしかぞすむ 世を宇治山と人はいふなり/喜撰法師
これやこの 行くも帰るも 別れては 知るも知らぬも あふ坂の関
これやこの いくもかえるも わかれては しるもしらぬも おうさかのせき
作者:
蝉丸
現代語訳:
これがあの、東国へ行く人も都へ帰る人もここで別れ、また、知っている人も知らない人もここで会うという逢坂の関なのです
注釈:
指示代名詞の初句に始まって、反復の弾むような調子の名歌です。
句切れなし。体言止め。
この歌について詳しく読む:
これやこの行くも帰るも別れては知るも知らぬも逢坂の関/蝉丸
天つ風 雲のかよひ路 吹きとぢよ 乙女の姿 しばしとどめむ
あまつかぜ くものかよいじ ふきとじよ おとめのすがた しばしとどめん
作者:
僧正遍昭
現代語訳:
空の風よ、天に戻っていきそうな、
注釈:
わかりやすくすがすがしい内容で良く知られている歌です。
三句切れとなっています。
この歌について詳しく読む:
天つ風雲の通ひ路吹きとぢよをとめの姿しばしとどめむ/句切れと解説
君がため 春の野にいでて 若菜摘む わが衣手に 雪は降りつつ
きみがため はるののにいでて わかなつむ わがころもでに ゆきはふりつつ
作者:
光孝天皇
現代語訳:
あなたのために春の野に出て若菜を摘んでいると、春だというのに私の着物の袖にも雪が降りかかっています。
注釈:
やさしく繊細な恋の歌。
雪の中でも花を摘んでいるのですよ、として、花と雪との美しい取り合わせと、人に寄せる思いを詠みます。
「つつ」はここでは「しながら」ではなくて、動作の反復・継続を表す接続助詞で、「し続ける」の意味。
この歌について詳しく読む:
君がため春の野に出でて若菜摘むわが衣手に雪は降りつつ/光孝天皇 訳と解説
陸奥の しのぶもぢずり 誰ゆゑに 乱れそめにし 我ならなくに
みちのくの しのぶもじずり たれゆえに みだれそめにし われならなくに
作者:
河原左大臣
現代語訳:
陸奥のしのぶ
注釈:
有名な恋の歌。
「もぢずり」とは、陸奥の信夫(しのぶ)地域で産した乱れ模様に染めた布のこと。そのように乱れた心、と視覚的な提示をして、自分の心の様がこのようである、としています。
「われならなくに」は万葉集にもある句で、「…のような私ではないのに」(でもそうなっている)と思いのままにならない自分自身の心を表す表現です。
「乱れそめる」は乱れ始めるの意味。あなたに会ってから、もじずりの模様のように心が乱れ始めてしまった。いつもならそうではないのに、と相手が特別であることを表します。
この歌について詳しく読む:
陸奥のしのぶもぢずり誰ゆゑに乱れそめにし我ならなくに 河原左大臣
ちはやぶる 神代もきかず 竜田川 からくれなゐに 水くくるとは
ちはやぶる かみよもきかず たつたがわ からくれないに みずくくるとは
作者:
在原業平
現代語訳:
神の時代にも聞いたことがない。竜田川の水を紅葉が紅色にくくり染めにするとは
注釈:
2句切れ。下二句は倒置。
「ちはやぶる」は「神」にかかる枕詞。
「からくれない=唐紅」 韓から伝わった紅であざやかな紅色。
在原業平はこの時代の有名な歌人で、六歌仙・三十六歌仙の一人です。
下の句の「から」「くれ」「くくる」の連続のカ行とラ行が小気味よい調子を作り出しています。
この歌について詳しく読む:
ちはやぶる神代も聞かず竜田川 からくれなゐに水くくるとは 在原業平
住の江の 岸に寄る波 よるさへや 夢のかよひ路 人目よくらむ
すみのえの きしによるなみ よるさえや ゆめのかよいじ ひとめよくらん
作者:
藤原敏行
現代語訳:
住の江の岸に寄せる波の「寄る」という言葉ではないが、夜の夢の中の通う道でさえ、あなたは人目を避けて出てきてくれないのでしょうか。
注釈:
句切れなし。「寄る」「夜」の反復や、掛詞など技巧的な有名な歌。
「人目よくらむ」は「人目」を「さける」、「らむ」の推量「だろう」。
この歌について詳しく読む:
住の江の岸による波よるさへや夢の通ひ路人目よくらむ 藤原敏行朝臣
難波潟 短かき蘆の 節の間も 逢はでこの世を 過ぐしてよとや
なにわがた みじかきあしの ふしのまも あわでこのよを すぐしてよとや
作者:
伊勢 百人一首17番
現代語訳:
難波潟の葦の節と節との短さのように、ほんの短い間でも逢わずに、一生を過ごしてしまえと、あなたは言うのでしょうか。
注釈:
作者伊勢は藤原氏の娘、平安時代の日本の女性歌
長いを表すのに鳥の尾を使った歌を上に見ましたが、これは短いことを表すのに「節の間」を提示しています。
そのように、ちょっとの前でも会えない、会いに来てくれない、
相手のつれなさを詠ったものですが、感情的ではなく技巧がまさった歌です。
・・・
大江山 いく野の道のとほければ まだふみもみず天の橋立
おおえやま いくののみちの とおければ まだふみもみず あまのはしだて
作者:
小式部内侍
現代語訳:
大江山を越えて、生野へとたどっていく道が遠いので、私はまだ天の橋立を踏んでみたこともなければ、母からの手紙も見ておりません。
注釈:
小式部内侍は和泉式部の娘で、その「歌の名人であるお母さんに、かわりに歌を詠んでもらったのでは」とからかわれた小式部内侍が返した見事な歌。
生野の地名に「行く」、「ふみ」に「踏む」「文」(手紙)の掛詞の技法が使われています。
小式部内侍はこの時代の代表的なすぐれた歌人のひとりです。
この一首を見ても、その才能は歴然としています。
この歌について詳しく読む:
大江山いく野の道のとほければまだふみもみず天の橋立 小式部内侍
ほととぎす 鳴きつる方をながむれば ただありあけの月ぞ残れる
ほととぎす なきつるかたを ながむれば ただありあけの つきぞのこれる
作者:
後徳大寺左大臣
現代語訳:
ホトトギスが鳴いた方を眺めやれば、ホトトギスの姿は見えず、ただ明け方の月が淡く空に残っているばかりだ
注釈:
技巧的ではなく、風情を籠めた情景を歌ったもの。百人一首でホトトギスの出てくる歌はこれ一首のみだそうです。
この歌について詳しく詠む:
ほととぎす鳴きつる方をながむればただ有明の月ぞ残れる 後徳大寺左大臣
百人一首の和歌、皆さまもいくつか憶えたら、歌かるたの形でもお楽しみくださいね!