ほととぎす鳴きつる方をながむればただ有明の月ぞ残れる 藤原実定、別名 後徳大寺左大臣として、千載集、百人一首にも入集している名歌の現代語訳、品詞分解と修辞法の解説、鑑賞を記します。
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ほととぎす鳴きつる方をながむればただ有明の月ぞ残れる
読み:ほととぎす なきつるかたを ながむれば ただありあけの つきぞのこれる
作者と出典
百人一首 89 他に千載集(巻3・夏・161)
作者:後徳大寺左大臣 (ごとくだいじのさだいじん) 別名 藤原実定
現代語訳と意味
ほととぎすの鳴いている方を眺めてみたが、ほととぎすはおらず、夜明けの月が残っているばかりだった
句切れ
句切れなし
語句と文法
- なきつる・・・「つる」は連体形。基本形「つ」の完了の助動詞
- かた・・・漢字は「方」。鳴いている方向、方角の意味
- ながむれば・・・基本形「ながむ」。漢字は「眺む」。「ば」は確定順接条件で「~したら」との意味
- 有明の月・・・読み「ありあけ」は夜明け、明け方のこと
- 月ぞ残れるは、「ぞ+連体形」の係り結び
係り結びとは 短歌・古典和歌の修辞・表現技法解説
解説と鑑賞
詞書に「暁聞郭公といへる心をよみ侍りける 右大臣」はとあり、「暁聞郭」は「夜明けのほととぎすの声を聞いた」の意味。
ホトトギスの存在を表す上句
夜明けにホトトギスの声がしているので、眺めてみるとするのが、上の句の内容です。
続く下の句は、ホトトギスがいない。そして、あるべきホトトギスの背景となるような、月だけがそこにあるという情景が示されます。
ホトトギスの存在を打ち消す下句
その声によってほととぎすの存在を示すのが上の句であるのに対して、下句では、その存在を打ち消す展開になります。
「あるはずのものがない」という不在によって、逆説的に存在を示すという提示の仕方は、きわめて特異な発想と言えます。
つまり、この歌の主題は「ホトトギスの不在」そして、その余韻なのです。
声の余韻
結果、ホトトギスの声はあっても、ホトトギスそのものがいるわけではない。ここに声の余韻のみが残されます。
聴覚的な声の知覚から、目に見える視覚的な「有明の月」が、余韻を別な形で鮮明に強めることに成功しています。
「マイナスを表す」歌の内容
この歌の内容はホトトギスが鳴いて、そこから何かが発展していったというのではないのです。
そうではなくて、あったはずの声、そこにいたはずのホトトギスが、逆にいなくなったというのが、歌の帰結であり主題なのです。
「ある」ことを示す歌ではなくて、「ない」ことをわざわざ詠うというのが非凡な発想であるのです。
他にも、夕なぎに門(と)渡る千鳥波間より見ゆる小島の雲に消えぬる(新古645)なども類似する手法の短歌と言えます。
「有明の月」は背景
「有明の月ぞのこれる」というのは、月がホトトギスに代わるものというのではなくて、ほととぎすがいないが故の「月」であり、絵でいえばむしろ背景の情景のアイテムです。
真ん中に描かれるはずの鳥がいないのですから、その空白がそのまま心の空白となり、かすかな寂寥感が生まれています。
藤原俊成は、この歌を千載集に選んでいますが、余情を大切にする「幽玄」という美的理念を説きました。
「幽玄」については下の記事に詳しく記しています。
藤原実定について
藤原実定[1139~1192]平安末期の公卿・歌人。
『千載和歌集』以下の勅撰集に76首入集。
藤原実定の他の和歌
夕なぎに門(と)渡る千鳥波間より見ゆる小島の雲に消えぬる 新古645
月見ればはるかに思ふ更級(さらしな)の山も心のうちにぞありける 千載集 280