友のせて東京へゆく汽笛ならむ夕餉の秋刀魚買ひに出づれば 東京を恋いた寺山修司  

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友のせて東京へゆく汽笛ならむ夕餉の秋刀魚買ひに出づれば 東京を恋いた寺山修司

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朝日新聞の天声人語に寺山修司の「東京東京東京…書けば書くほど恋しくなる」という詩文が掲載されていました。

少年時代の寺山は、文芸を通じて都会へのあこがれを膨らませていました。

きょうの日めくり短歌は、寺山修司の短歌作品をご紹介します。

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東京を恋う寺山修司の詩文

今朝の朝日新聞の天声人語に、寺山修司の詩文が紹介されていました。

東京東京東京東京東京東京東京東京東京東京東京東京東京東京東京東京東京東京東京東京東京東京東京東京東京東京東京東京東京東京東京東京東京東京東京 書けば書くほど恋しくなる。―『誰か故郷を想はざる』

少年時代の寺山修司が東京を恋いて、記した詩文だそうです。

もちろん、才能のあふれる寺山は、当時手掛けていた文学、特に俳句と短歌を通じて、都会へのあこがれを膨らませていたのは間違いないでしょう。

それと共に、当時の寺山修司の母、ハツは、福岡県の米軍基地で働いており、寺山は叔父夫婦の元で育っていたので、母への思慕と都会へのあこがれが重なっていた部分があったのかもしれません。

 

友のせて東京へゆく汽笛ならむ夕餉の秋刀魚買ひに出づれば

叔父夫婦の食堂は三沢市の駅前にあり、寺山修司は、店の窓から、過ぎ去る電車や人々を眺めていて、東京への憧れを強めていたといわれています。

塩つけて甘薯を喰らふ日々だにも文芸恋へり北国の男

漬樽をまさぐりながら詩のために家出せむこと幾度思ひし

帰省せるわれの大学帽などをけなしておのせ慰む彼等よ

寺山修司の当時未発表の作品(中井英夫『寺山修司青春歌集 (角川文庫)』より)には、東京へのあこがれと、それをねたむ地元の友との相克も描かれています。

そして、東京に移ってからは、後の有名な作品「ふるさとの訛りなくせし友といてモカ珈琲はかくまでにがし」の通り、寺山修司は青森弁は一生手放さず、都会にあっても訛りをそのままに話していたとされています。

青森と東京、この二つの土地をベースに、後世に残る寺山ワールドは幅広く展開していったのです。

今日の日めくり短歌は、寺山修司の短歌を紹介しました。

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寺山修司プロフィール

寺山 修司(てらやま しゅうじ)1935年生

青森県弘前市生れ。 県立青森高校在学中より俳句、詩に早熟の才能を発揮。 早大教育学部に入学(後に中退)した1954(昭和29)年、「チエホフ祭」50首で短歌研究新人賞を受賞。 以後、放送劇、映画作品、さらには評論、写真などマルチに活動。膨大な量の文芸作品を発表した。

 

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