現代短歌

寺山修司の有名な短歌代表作品一覧 きらめく詩才の短歌の特徴

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寺山修司は短歌や俳句の他、劇作家としてもマルチに活躍しましたが、寺山修司の出発は短歌であり、寺山の歌は今に至るまでファンが多く、私もその一人です。

寺山修司の短歌の代表作品一覧と、寺山修司の短歌の特徴、詳しい解説を記した短歌ご紹介します。

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寺山修司の有名な短歌

寺山修司のこれだけは詠みたい、最も有名な短歌を先にあげるとすると、筆頭に挙げられるのは次の歌です。

マッチ擦るつかのま海に霧ふかし身捨つるほどの祖国はありや

現代語訳:

マッチを擦ったほんの少しの間の明かりで、海には深い霧が立ちこめている。私が命を捨てるほどの祖国はあるのだろうか

歌の意味

暗い海辺で、マッチを擦ったその明かりに一瞬見える海の霧の深さ。

それと同じように、作者の胸に浮かぶ祖国への懐疑の念を表します。

青春期の心から見た、当時の社会情勢を扱った歌として、今も愛吟される作品です。

この歌の解説は下の記事にあります。

マッチ擦るつかのま海に霧ふかし身捨つるほどの祖国はありや 寺山修司短歌代表作品

他に教科書にも掲載された作品を含む

君の歌うクロッカスの歌も新しき家具のひとつに数えんとする

列車にて遠く見ている向日葵は少年のふる帽子のごとし

森駈けてきてほてりたるわが頬をうずめんとするに紫陽花くらし

夏蝶の屍をひきてゆく蟻一匹どこまでゆけどわが影を出ず

なども、代表作品といえますが、あまり有名ではない作品にも優れて際立った秀歌が多いのが特徴です。

 

寺山修司の短歌代表作品

当ブログで解説している寺山修司の短歌代表作品を一覧で示します。

解説のあるものはリンクを引いていますので、各ページにてご覧ください。

一粒の向日葵の種まきしのみに荒野をわれの処女地と呼びき

向日葵は枯れつつ花を捧げおり父の墓標はわれより低し

いますぐに愛欲しおりにんじんとわれの脛毛を北風吹けば

海を知らぬ少女の前に麦藁帽のわれは両手を広げていたり

そら豆の殻いっせいに鳴る夕母につながるわれのソネット

雲雀の血すこしみじみしわがシャツに時経てもなおさみしき凱歌

わがカヌーさみしからずや幾たびも他人の夢を川ぎしとして

とびやすき葡萄の汁で汚すなかれ虐げられし少年の死を

知恵のみがもたらせる詩を書きためて暖かきかな林檎の空箱

マッチ擦るつかのま海に霧ふかし身捨つるほどの祖国はありや

君の歌うクロッカスの歌も新しき家具のひとつに数えんとする

わが家の見知らぬ人となるために水甕抱けり胸いたきまで

リンゴの木伐り倒し家建てるべしきみの地平をつくらんために

列車にて遠く見ている向日葵は少年のふる帽子のごとし

森駈けてきてほてりたるわが頬をうずめんとするに紫陽花くらし

夏蝶の屍をひきてゆく蟻一匹どこまでゆけどわが影を出ず

わがシャツを干さん高さの向日葵は明日ひらくべし明日を信ぜん

一本の樫の木やさしその中に血は立ったまま眠れるものを

手を置かん外套の肩欲しけれどねぎの匂える夕ぐれ帰る

売りにゆく柱時計がふいに鳴る横抱きにして枯野ゆくとき

かくれんぼの鬼とかれざるまま老いて誰をさがしにくる村祭

ふるさとのふるさとの訛りなくせし友といてモカ珈琲はかくまでにがし 

友のせて東京へゆく汽笛ならむ夕餉の秋刀魚買ひに出づれば

 

教科書に掲載の短歌については

関連記事:
教科書の短歌2/中学校教材に収録の現代歌人の作品/寺山修司俵万智栗木京子穂村弘

 

寺山修司の短歌の特徴

寺山修司の短歌の特徴についてまとめます。

寺山修司の歌壇デビュー

寺山修司が歌壇に登場したのは、「短歌研究」第二回の五十首詠の公募で特選に選ばれたためです。

当時の編集長は中井英夫でした。

角川文庫の「寺山修司青春歌集」の後書きには、その頃の歌壇事情や、編集者としての中井の配慮も伺えて興味深いものがあります。

中井英夫の後書きから

「寺山修司青春歌集」の後書きから、寺山が十六年短歌を続けたということについての中井の文章です。

その年月は、あたかも掌から海へ届くまでの、雫の一たらしほどにもはかない時間といえる。だがこの雫は、決してただの水滴ではなく、もっとも香り高い美酒であり香油でもあって、その一滴がしたたり落ちるが早いか、海はたちまち薔薇いろにけぶり立ち、波は酩酊し、きらめき砕けながら「いと深きもの」の姿を現前させたのだった。---中井英夫

寺山修司の盗作問題

その後、寺山作品の一部の短歌について、俳句からの剽窃が発覚して問題となりました。

「マッチ擦る」の短歌についていえば、冨澤赤黄男 (トミザワカサオ) の 「一本のマッチを擦れば湖は霧」 を下敷きにしているといった点です。

そのため、当時の歌壇からはこれらの作品は排斥を受けましたが、寺山の短歌が今に至るまで詠み継がれていることは変わりません。

寺山修司の短歌の虚構性

また、寺山修司の短歌には、実際はいない弟(寺山は一人っ子)が登場したり、生きている母が既に亡くなったものとして描かれるものがあります。

このような、短歌の虚構性は、実際にはいない兄の戦没を詠んだ平井弘と並んで、短歌に持ち込むべきかどうかの論議となりました。

このような虚構性は、寺山の短歌に特徴的なものであるといえます。

寺山の歌の韻律

また、歌人の馬場あき子さんは寺山の歌の韻律について、「わが通る果樹園の小屋いつも暗く父と呼びたき番人が棲む」「マッチ擦るつかのま海に霧ふかし身捨つるほどの祖国はありや」を例にあげて、次のように言っています。

きっちりとした三句切れで、下句に大きく読者の心を捉える、思いがけない展開がある。塚本の言葉でいえば、上下を結ぶ「見えない線」としての役割を、「いつも暗く」「霧深し」が果たしている。古くから言われてきた短歌の「腰」の部分である。
(「韻律から短歌の本質を問う」より。)

寺山修司の短歌には、字余りや破調はほとんど見られません。

歌調べが極めて整っていることも、寺山短歌の特徴の一つと言えます。

寺山修司プロフィール

寺山 修司(てらやま しゅうじ)1935年生

青森県弘前市生れ。 県立青森高校在学中より俳句、詩に早熟の才能を発揮。 早大教育学部に入学(後に中退)した1954(昭和29)年、「チエホフ祭」50首で短歌研究新人賞を受賞。 以後、放送劇、映画作品、さらには評論、写真などマルチに活動。膨大な量の文芸作品を発表した。

短歌では塚本邦雄、岡井隆とともに前衛短歌運動に参加、前衛短歌の”三雄の一人”と呼ばれる。







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