ふるさとの訛りなくせし友といてモカ珈琲はかくまでにがし
寺山修司は青森出身。若い時は都会に憧れ、「東京東京東京…書けば書くほど恋しくなる」と詩文に記した一方、「ふるさと」に固執する上の歌も詠んでいます。
きょうの日めくり短歌は、寺山修司の短歌作品をご紹介します。
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ふるさとの訛りなくせし友といてモカ珈琲はかくまでにがし
作者は寺山修司。『寺山修司青春歌集 (角川文庫)』の「初期歌篇」より。
上の短歌の場面は、上京後間もない寺山が同郷の友人と同席した折と想像できます。
都会に住んで、すっかり故郷の言葉を忘れてしまったかのように、美しい標準語を話す友達への苦々しい気持ちが、「モカコーヒー」の苦さと重ね合わされて表現されています。
この短歌は、石川啄木の、「ふるさとの訛なつかし停車場の人ごみの中にそを聴きにゆく」を元にしたものだとも言われており、ふるさとの言葉を懐かしむという心がベースにあります。
それでいて「モカ珈琲はかくまでにがし」というのは、故郷の言葉の喪失という観点から反転し、愛着を一層強めた表現となっていると言えます。
少年期の寺山修司と東京
寺山修司の故郷は青森県、東京からは最も離れた本州の最北端ですが、詩歌に早熟な才能を見せた寺山は、それゆえに東京への憧れを強くしていました。
前述の「東京東京東京…書けば書くほど恋しくなる」の詩文や、未発表作品の「友のせて東京へゆく汽笛ならむ夕餉の秋刀魚買ひに出づれば」には東京への憧れと、東京に帰京する友人へのほのかな憧憬がそのまま表されています。
故郷の言葉で話し続けた寺山
一方で、東京に行ってからの寺山は、生涯”青森弁”を手離しませんでした。
都会にあっても訛りをそのままに話していたとされていますが、寺山を知る人によると、それは演出の一つではなかったかとも言われています。
そもそも寺山の短歌に似は虚構が多く、寺山が本心から青森弁にこだわったのかどうかはわかりません。
しかし、仮に演出のようなものであったとしても、寺山が故郷の言葉、そして、自分が東北地方出身ということにこだわり続けたのは事実と思われます。
今日の日めくり短歌は、昨日に続いて、寺山修司の短歌を紹介しました。
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寺山修司プロフィール
寺山 修司(てらやま しゅうじ)1935年生
青森県弘前市生れ。 県立青森高校在学中より俳句、詩に早熟の才能を発揮。 早大教育学部に入学(後に中退)した1954(昭和29)年、「チエホフ祭」50首で短歌研究新人賞を受賞。 以後、放送劇、映画作品、さらには評論、写真などマルチに活動。膨大な量の文芸作品を発表した。