短歌・和歌

岡井隆の短歌代表作品と九州出奔前後の歌

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岡井隆氏の訃報が伝わりました。92歳でした。

現代短歌の最前線で活躍した歌人、忘れられない作品が数多くあります。

岡井隆氏の代表作の短歌をご紹介します。

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岡井隆氏について

岡井隆氏の訃報が伝わりました。

岡井氏は、同じく医師であった父上に早くから短歌の手ほどきを受け、アララギ入会は18歳の時。

その後は内科医として勤務の傍ら、アララギを離れて寺山修司や塚本邦雄とともに前衛短歌運動を展開しました。

歌誌「未来」を創刊。19年から天皇陛下や皇族方の和歌の相談役として宮内庁御用掛を務め、28年、文化功労者に選ばれています。

岡井隆氏の短歌の特徴

岡井隆氏の短歌の特徴は、朝日新聞によると

和歌のように韻律の美しさを重んじる作品や、口語と文語を自由に混ぜた歌など短歌の可能性を極限まで追求した。

と紹介されています。

岡井隆代表作短歌

の枝をひろぐる林みゆ亡びんとする恋ひとつ

岡井隆の代表作品の一つ。第一歌集『斉唱』より。

アララギ出身でしたので、初期には写実派でよく使われる「みゆ」がみられます。

入会は18歳の時。両親ともアララギの同人だったようで、早くから父上に手ほどきを受けたようです。

 

眠られぬ母のためわが誦む童話母の寝入りし後王子死す

作者岡井隆 歌集『斉唱』

岡井氏の母上は、多年にわたって不眠や妄想などの精神的な不調があったとのこと。

ここでは、短歌の「虚構」が意識して扱われるようになっています。

肺尖(はいせん)にひとつ昼顔の花燃ゆと告げんとしつつたわむ言葉は

作者岡井隆 歌集『朝狩』

代表作品として良く取り上げられる、医師としての診察風景の断片を詠んだ歌。

「昼顔の花燃ゆ」「たわむ言葉」などの比喩と修辞が優れています。

他に

母の内に暗くひろがる原野(げんや)ありてそこ行くときのわれ鉛の兵

あぢさゐの濃きは淡きにたぐへつつ死へ一すぢの過密花あはれ

ひぐらしはいつとしもなく絶えぬれば四五日は〈躁〉やがて暗澹(あんたん)

 

岡井隆氏の出奔前後の短歌

岡井氏の私生活で話題をさらったのは、女性との九州への出奔です。

愛人との逃避行ということでしたが、5年間短歌の投稿もなく、一時は生死が危ぶまれる行方不明ということになり、塚本邦雄が自らの作品を通して呼びかけを行うほどでした。

この前後の短歌は、ドラマティックで緊迫感の高いものとなっています。

そのあした女(ひと)とありたり沸点を過ぎたる愛に〈佐世保〉が泛(うか)ぶ

それをしも暴力と呼びうるならば月射せよふかき水の底まで

一箇の運命としてあらわれし新樹を避くる手段(てだて)ありしや

別るるはまことふたたび逢わむため碾(ひ)くごとくまた轢(ひ)かるるごと

泥ふたたび水のおもてに和(な)ぐころを迷うなよわが特急あずさ

歌集『天河庭園集』より。

「運命」の新樹と出会って、特急電車で九州に向かう作者の心境が表されます。

そして、愛人との新しい生活に入るわけですが、岡井氏には妻も子供もいる状態でした。

泣き喚ぶ手紙を読みてのぼり来し屋上は闇さなきだに闇

生きがたき此の生(よ)のはてに桃植(う)ゑて死も明(あ)かうせむそのはなざかり

原子炉の火ともしごろを魔女ひとり膝に抑へてたのしむわれは

零落(おちぶ)れし王と思へどそれもよし黄金(きん)の記憶を抱きて眠らな

薔薇抱いて湯に沈むときあふれたるかなしき音を人知るなゆめ

花から葉葉(は)からふたたび花へゆく眼(め)の遊びこそ寂しかりけれ

歳月はさぶしき乳(ちち)を頒(わか)てども復(ま)た春は来ぬ花をかかげて

復帰後の歌集『鵞卵亭』。

出奔の原因は、むしろ短歌を続けるかどうかのことの方にあったとも伝えられています。

結婚は3度、家庭生活では波乱万丈の人生であったようです。

晩年の短歌

晩年は静かに人生を見つめる歌が多くなります。

婚(まぐあひ)にいたらぬ愛を濃緑のブロッコリイにたぐへてぞ恋ふ

晩年をつね昏めたるわれと思ふしかもしづかに生きのびて来ぬ

蒼穹(おほぞら)は蜜(みつ)かたむけてゐたりけり時こそはわがしづけき伴侶

『人生の視える場所』より。

生くるとは他者(ひと)を撓(たわ)めて生くるとや天は雲雀(ひばり)をちりばめたれど

あたらしき禁忌の生(あ)るる気配していろとりどりの遠き雨傘

『禁忌と好色』。

ここといふ選びをつねにあやまちて夢のごとくにたのしかりける

『歳月の贈物』より。

これらの歌を読む人も、岡井隆さんの華やかで濃密な生涯を振り返ることができるかもしれません。

岡井隆プロフィール

岡井 隆(おかい たかし)1928年生

日本の歌人・詩人・文芸評論家。未来短歌会発行人。日本藝術院会員。塚本邦雄、寺山修司とともに前衛短歌の三雄の一人。
1993年から歌会始選者となり宮廷歌人となったが、そのことに対して歌壇では批判と論争が巻き起こった。
2007年から宮内庁御用掛。2016年、文化功労者選出。(ウィキペディアより)







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