古泉千樫の原阿佐緒との相聞歌  

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古泉千樫の原阿佐緒との相聞歌

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古泉千樫の相聞歌は、結婚をした妻を詠んだものと、その後交際のあった原阿佐緒との交際を詠んだものがあります。

古泉千樫の相聞歌より、妻きよを詠んだものをご紹介します。

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古泉千樫の原阿佐緒との相聞歌


古泉千樫が詠んだ、阿佐緒との相聞歌を取り上げます

古泉千樫と阿佐緒のなれそめ

千樫は仙台の歌誌に参加し、そこに原阿佐緒がいて知己を得る。

当時、阿佐緒は有名な歌人であったらしく、千樫と阿佐緒は文通を続けていた。おそらく顔を合わせたこともあったようだ。

『屋上の土』大正二年「雪」

逢はなくて今はひさしきかなし子をこの夜の雪におもほゆるかも

今宵はやしづかに雪のつもるらむ逢ひぬれば心やすけかるかな

「蜩」
わが庭にかなかな鳴けり今われはなれなれしく人を思ひ居りにし

相見ねば汝が来し方のかなしきをねたましくさへ思へるものを

ほろほろと鳳仙花赤く散りにけりなほおほよそに遠く恋ひ居り

 

次第に気持ちが接近していく様子が詠われる。

古泉千樫と阿佐緒の初めての出会い

ところが、ある日、阿佐緒が突然千樫を家に訪ねてきた。

その日は、たまたま隣に火事が起こり、千樫の家は焼けることはなかったが、類焼を恐れて家の中のものを外に運び出したりしたので、火事のあとの片付けをしている折に、阿佐緒が来て外に立ったらしい。

 

『屋上の土』より 大正2年「灰塵」

急ぎきて人だちしげきわが門(かど)にかがやく目見(まみ)をふと見つるかも
わが門をひと入りくらし今し見し悲しき目見(まみ)の思ほゆらくに

灰燼の暗くなびかふ夕庭にたどきも知らに相見つるかも

はるばると吾れにきたれる悲し子を今ここにしてすべもすべなく

夕くらく灰燼のなか相寄ればくろ髪の香の何ぞかなしき

ひたぶるに家人(かじん)は物をしまひ居りかなしき人は帰りけるかも

 

ところが、この一連は初出の『詩歌』においては、一首目には次の歌があった。

 

鳴きほそる霜夜こほろぎいたいたし今こそは告(の)らめ妻をも子をも

 

意味は「鳴く声のだんだん細くなってくる、寒い夜のこおろぎだ。今こそは告げよう。私に妻も子もあることを」というようなものである。

つまり、千樫は文通の間に、自分が妻帯者であることを言わなかったらしいし、その頃の手紙も考証されているがその通りであったようだ。

その対面が大正2年の12月18日。そして阿佐緒の滞在中に会うことになり、おそらく12月24日の晩に二人は一夜を共にする。

 

湯を出でて夜の廊下のつめたきにふと胸さわぐ君をひとり置きて
夜の海の暗きを見つつ君居たり一人し居りて何をか思ひし
闇の海に赤き火一つおぼつかなひとりし君をおきにけるかも
さ夜ふかみ小床になびく黒髪をわがおよびにし捲きてかなしも
燭の火をきよき指(をよび)におほひつつ人はゑみけりその束の間を
夜は深し燭を続(つ)ぐとて起きし子のほのかに冷えし肌のかなしさ
うつつなく眠(ねむ)るおもわも見むものを相嘆きつつ一夜明けにけり
朝なればさやらさやらに君が帯結ぶひびきのかなしかりけり

 

原阿佐緒の特異性

4首目の推敲前の原作は「さ夜床になびく黒髪もてあそびいのねらへぬに死去(しい)ねと云ひき」であって、阿佐緒は海岸で会って話している時も、「こんな晩には、剃刀の光でも見るのがふさわしいと思いますわ」と言い、寝床においては、初めて会って早々に床を共にした千樫に「死ね」と言ったのは前述の通りである。

そして、別れの際には、のちの夫となる男性が駅に迎えに来ていて、千樫と顔を合わせるようになっており、相手を苦しませるような手配がされていた。

つまり、阿佐緒の方は常の恋愛感情だけをもって千樫に会ったわけではなく、阿佐緒の不安定なパーソナリティーに拠る歪んだ欲望の達成に千樫が選ばれたわけなのだが、千樫はさほど不審を抱かず、阿佐緒に恋情を持った。

というのは、千樫は妻子と別れることも考えたらしく、「僕には同棲者はあっても僕の一切を少しでも拘束するものはない」そして阿佐緒が「千樫を選ぶ」と返事をしたことが、手紙の内容に憶測されている。

そして、千樫は舞い上がって喜ぶと、その日の手紙で「千樫を選ぶ」ことが翻される、阿佐緒特有の手口だった。というより、阿佐緒の方はそのように相手を手玉に取って、精神的な苦痛を与えることが目的であったのだが、千樫にはわかるはずもなく、精神的動揺のさなかに娘が急死するという結果になった。

千樫を弁護して言えば、阿佐緒のような人は、やはり一種のパーソナリティ障害というべきだろう。このような人は、人と関わって初めて病理を花開かせる。一見魅力的で、相手を取り込むすべを心得てもいるが、医学用語でいうところの「攻撃性」を有しており、恋愛と相手を傷つけるということを同時に考える。自と他の区別、愛と攻撃性が未分化なのである。

おそらく「寝顔を見る」ということは、阿佐緒にとっては死の擬態であったろう。自殺未遂をしたのは彼女本人だったのだが、「死ね」というところは自他の区別の曖昧さを思わせる。

おそらく千樫はその魅力に取り込まれつつも、段々にはそれに気がついて保護者のような気持にもならざるを得なかったのだろう。

だからこそ、交際していた女性を石原に世話をするという奇妙なことになり、これは阿佐緒、それから石原も特殊な人たちだからそうなったわけなのだが、他のアララギ同人にはそのようなことが理解できるはずもなく、同じく病理に巻き込まれた三ケ島と千樫が、最終的にアララギ離別となったのだった。

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古泉千樫の追憶の慕情

阿佐緒の仕打ちにを悩みながらも、千樫は相手が思い切れず、歌に詠む。

『屋上の土』大正三年「桃の花」

桃の花遠くに照る野に一人立ちいまは悲しも安く逢はなくに
桃の花下照る水のさざれ波ややねたましきこころのみだれ
うつとりと桃のくれなゐ水底(みなぞこ)に映りて吾は涙ながせり
との曇る春の曇りに桃のはな遠くれなゐの沈みたる見ゆ
桃の花くれなゐ曇りにほやかに寂しめる子の肌のかなしき
桃の花曇りの底にさにづらひわれのこころのあせりてもとな
桃の花くれなゐ沈むしかすがにをとめのごとき女なりけり

 

この一連に対する、評者の反応は、柴生田稔、扇畑忠雄など、皆一様に冷ややかである。

千樫は最初に阿佐緒と一夜を共にした稲毛海岸を、後に懐かしんでひとり訪れてもいる。

 

『屋上の土』 大正四年「波の音」


両国橋を渡りしが停車場の食堂に来て珈琲を飲む

汽車に乗り行かむと思ふ海べのかなしき宿に今宵はいねむ

しかすがに汽車に乗りたれ群肝(むらぎも)の心さやぎて眼をつぶるなり

汽車にのり心しきりにさやげどもやがて寂しくならむとすらむ

腰をおろしてぢつと眼をとぢ息づけばすなはち汽車は動き出でたり

外の面見れば畑原白く月照れり一思ひにてここに来にけり

宵寒き稲毛の駅にひとり下りいまはほとほと寂しきものを

道ながらひそかに思ふ酒のみてひとり眠らむそのかの宿に

この一夜早く明けなと思ひつつさかづきおきていねむとするを

別れはて悲しき人をしのびつつひとりひそかに甘(あま)え嘆くも

ここにきてさ夜の波の音ききとだにつげやるべくは何か嘆かむ

 

さらに、淡雪に、木々の芽吹きに相手を思い出してもいる。

 

『屋上の土』 大正五年「淡雪」
淡雪のわかやぎ匂ふてのひらを吾が頬(ほ)にあててかなしみにけり
身にちかく君の居るかにおもひけりまがなしき血の体(たい)を走るも

 

『屋上の土』 大正六年「一日」

ひとりして歩き帰らな寂しみと人を訪はむはすべなきものを
街ゆけば芽立(めだち)の光りうらがなし人のたよりのつひに来たらず
別れては遥けきものか新芽立つちまたを一人今日も歩める

 

ある時は、アララギの会合などであったろうか。

 

『屋上の土』 大正六年「朴の花」


ゆく水のすべて過ぎぬと思ひつつあはれふたたび相みつるかも

相見つる悲しき思ひ堪へがてに朝戸は出でつ妻は知らぬを

汝(な)を思ふこころ悲しく甘(うま)しきに白くかがやく朴の木の花

この嘆きとはに堪へつつ秘(ひそ)かなる乏(とも)しき思ひ乱さずあらむ

白黄(びやくわう)の朴の木の花いちじろくいまはなげかじ寂しかりとも

うち嘆くなげきも甘(うま)しあひぬれば過ぎにしことは忘れけらしも

はるかなる逢ひなりながらほのぼのとなごりこひしき朴の木の花

夜(よる)深み若葉の匂ひしめやかにたもとほりつつわかれかねしか

かき終へしながきてがみをふところにひそかにいれて外(と)にいでにけり

まがなしむもののあまたにわかれけりひとりゆかむにわれは堪へぬに

 

原への慕情を表す最後の短歌はおそらく下のもの

ひそかごと持つとはいはじ曇り日の若葉明るく親しきものを

大正六年「微恙の後」

そのあとは相聞歌らしいものは見られていない。石原純とのスキャンダル事件のため、千樫が阿佐緒に助力を申し出たのは、この約3年後になる。

まとめ

古泉千樫は、最初の妻との出会いでは故郷を追われ、次の原阿佐緒との出会いにおいて、アララギを追われることになった。そして、そこから病苦が始まってもいる。

憂慮と生活苦の多い中で詠まれた、美しくも哀しい歌の数々をこれからも味わっていきたい。




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