戦ひに果てしわが子も聴けよかし。かなしき詔旨(みこと)くだし賜(た)ぶなり―
8月15日は終戦記念日、終戦を告げる玉音放送を詠んだ歌人に折口信夫、釈迢空がいます。
きょうの日めくり短歌は、折口信夫の終戦の日の短歌をご紹介します。
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戦ひに果てしわが子も 聴けよかし---。かなしき詔旨(みこと) くだし賜(た)ぶなり
作者は折口信夫、短歌の筆名は 釈迢空(しゃくちょうくう)。
出典:『倭をぐな』
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— まる (@marutanka) August 15, 2020
作者、折口信夫が、終戦の日の天皇の放送を詠んだ歌。
放送そのものを詠んだ短歌は他にはあまりみかけませんが、折口信夫は、戦死した折口春洋に向かってまっすぐに、詔の下ったことを知らせています。
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国文学者であった折口にとって、敗戦は、自らが生涯かけて培ってきた国学の崩壊でもあり、わが子を含めた若者を死なせてしまった自責も深かったのです。
折口春洋を失った哀しみ
冒頭の歌、「戦ひに果てしわが子も 聴けよかし---。かなしき詔旨(みこと) くだし賜(た)ぶなり」の意味は、「戦死した子もお聞きなさい。かなしい詔がを天皇が自ら読んで与えてくださった」。
この「わが子」春洋は、折口信夫が学問の後継者として養子にした青年ですが、折口は今でいうLGBTであったので、春洋は「子」でもあり、恋人でもありました。
なので、折口は後継者と恋人、子どもとを一時に失ったこととなり、嘆きは果てなく続きます。
戦ひは永久(とわ)にやみぬとたたかひに亡(う)せし子に告げ すべあらめやも
戦ひに果てし我が子の 目を盲(し)ひて 若(も)し還り来ば、かなしからまし
一首目は、「戦いは終わった、と戦死した子に言うのだが、どうしようもない」との意味。
二首目は、「戦死した子がもし、盲目になって帰ってきたのなら、どんなにか愛しんだだろうに」という意味だろうと思います。
どんなになってもよい、還ってきてほしかったと思っても、かなわぬ望みであり、その上、自分が一人で敗戦の放送を聞くということは、折口にとっては二重の悲しみであったでしょう。
なお、折口の弟子であった岡野弘彦の歌集『海のまほろば』の冒頭には、折口に成り代わって詠まれたと思われる「南島 死者の書」の一連の作品があります。併せての鑑賞をおすすめします。
きょうの日めくり短歌は、終戦記念日にちなむ、折口信夫の短歌をご紹介しました。
それではまた明日!
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