吉田正俊の短歌をご紹介します。
アララギ派の優れた現代の歌人です。ネットのサイトでは多くを見かけませんので、作品に触れてみてください。
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吉田正俊の短歌
吉田正俊は、1902年生まれ、土屋文明に師事したアララギ派の歌人です。
作品をランダムに引用します。
アララギの近代から現代の歌人については下の記事に
寂しさに堪えゐるひとの眼(まなこ)見て用なきに吾れは言葉かけたり
あかときを吾れは覚(めざ)めて裏庭に繭煮る匂(にほひ)あはれがりおり
隣室に剃刀を研ぐ日曜の昼ちかきころに起き出でにけり
上野山くだる群集(ぐんじふ)に反感のときのま湧ける我をぞおもふ
妻をめとれとふるさと人(びと)のいふ文(ふみ)を酔いて帰れる小夜ふけに読む
ひろがりゆく理論の果ての虚しさに安らぐ今夜疲れをるらし
吾れはよしなきに苦しみわが友は蕗の薹(とう)買う病む父のため
*「よし」は「由」
ふくろふは夜更け啼くやとききしかば胡桃わりゐる姪が答へぬ
つわぶきの花に寒々しぐれ来ぬしばしまどろみしと思ふあひだに
あらそわず二人ありつつ或る時はこのしづけさに堪へざらむとす
電車下り杉の間にしろき桜の花仰ぎなごみて帰る宵々(よいよい)
おぼおぼしき曇りに植ゑし鷺草(さぎそう)の幾芽かすでに青々と伸ぶ
*おぼおぼし ぼんやりして、はっきりとしない。おぼろげである。
宵闇の蚊の鳴きいづるひとしきり心はむなし庭に立ちつつ
鷺草(さぎそう)のはや衰へてゆく様を今日のよすがと吾れは居りけり
死を告げ来し電報がポケットにありけるをづたづたに破り捨てたり
■蓮の花の短歌
くれないの蓮の花片(はなびら)水に散り秋ひえびえと霧のながるる
水の上にくづるる朱はありつつも草むらにすでに弱き日の影
秋澄みて散りのこりたる花蓮(はなはちす)とよみはつたふ広き池の上
■「アララギ歌人論」から
「アララギ歌人論」から、解説小谷稔。
柳影あはく伸びたる踏みゆきて久しぶりなりからすのこゑは
枯れ果てし庭芝草のうつくしくもの忘れしに似たる明るさ
目をあきて秋づきにける夕かげは夢のつづきの如くさみしき
「この清新柔軟で洗練された抒情はこの作者によって開かれたと言ってよい。平凡きわまる身辺の自然が手の跡を見せない手法で作者の内面深く温められ、磨かれた玉のような静かさで言葉に移されている。」
木々ことごとくおぼろになりて降りしきる見飽くことなき終日の雪
幼き日の雪に思出多くしておのづから浮かぶ遠きふるさと
ふる雪にしづまる心保ちつつ今日の一日の過ぎゆきしかな
「この作者の歌は現象事象がなまのままでは歌われない。作者の情感に融合した後静かに流れ出るように歌われる。」(同)
晩年の作品
いち早く雪を落とすは何の木と夕べの窓にしばらく立ちぬ
しばし花なき庭をさびしめど四五日すれば木犀がある
吉田正俊経歴
吉田正俊(よしだ まさとし)1902年4月30日 - 1993年6月23日
福井県福井市出身。東京帝国大学法学部卒。いすゞ自動車専務取締役や相談役を務めた。
1925年「アララギ」に入会、土屋文明に師事し、のち選者、発行人。歌誌「柊」選者。高度経済成長期を背景に写実主義を貫いた。1965年『くさぐさの歌』で第11回日本歌人クラブ推薦歌集(現・日本歌人クラブ賞)、1976年『流るる雲』で第27回読売文学賞、1988年『朝の霧』で第23回迢空賞受賞。1993年、歌会始召人。