親思ふこころにまさる親心けふの音づれ何ときくらむ 吉田松陰の和歌  

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親思ふこころにまさる親心けふの音づれ何ときくらむ 吉田松陰の和歌

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親思ふこころにまさる親心けふの音づれ何ときくらむ 吉田松陰の詠んだ和歌に、大変有名なフレーズを含む上の歌があります。

今日の日めくり短歌は吉田松陰の命日、松陰忌にちなみ、吉田松陰の短歌をご紹介します。

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吉田松陰の命日

10月27日は吉田松陰の命日です。

吉田松陰は、高杉晋作や伊藤博文らがそこで学んだ松下村塾(しょうかそんじゅく)を開きましたが、後に投獄されて安政の大獄で死罪となった人物です。

吉田松陰の漢詩を含む辞世の句10首の解説はこちら

吉田松陰の代表作短歌はなんといっても以下の作品が有名です。

親思ふこころにまさる親心けふの音づれ何ときくらむ

読み:おやおもう こころにまさる おやごころ きょうのおとずれ なんときくらん

作者:

吉田松陰

吉田松陰の和歌の意味

この歌の意味は下の通りです。

私が親のことを思う以上に親は私のことを思っていてくれている、それが親心というものだ。

今日私が処刑されるという知らせの手紙をどのように思っておられるだろう。しのびないことだ

歌の中の「音づれ」とは、手紙のことをいいます。

 

吉田松陰の和歌の背景「安政の大獄」

吉田松陰は、高杉晋作などの幕末の志士たちに、影響を与えた江戸時代の学者です。

幕府は尊王攘夷派に対する弾圧を開始、これが「安政の大獄」で、吉田松陰は処刑されることとなってしまいました。

吉田松陰は日米修好通商条約に絡んで幕府を批判、投獄された際の罪状は急進派の武士と会っていただけということのようですが、たいへん残念なことです。

上の和歌は吉田松陰の辞世の句の一首で、形式は短歌なのですが、上句の「思ふこころにまさる親心」の部分だけが、一種の格言のように市井の人々に伝わって今に至っています。

 

吉田松陰の辞世の句

吉田松陰の辞世の句、和歌については、一番有名なものが以下の和歌です。

かくすればかくなるものと知りながらやむにやまれぬ大和魂

親思ふこころにまさる親心けふの音づれ何ときくらむ

身はたとひ武蔵の野辺に朽ちぬとも留め置かまし大和魂

それぞれの意味は以下の通り。

 

かくすればかくなるものと知りながらやむにやまれぬ大和魂

この意味は

こうすれば今のように、投獄や処刑となるだろうとも思いながらも、志を通そうとすればやむを得ない、それが大和魂だ

 

もう一首、大和魂に続けたものが

身はたとひ武蔵の野辺に朽ちぬとも留め置かまし大和魂

この体が、たとえ、武蔵の地に朽ちようとも、大和魂の魂はとどめおこう

いずれも強い決意を詠った短歌が連ねられています。

 

吉田松陰の他の辞世の句5首

「かきつけ終りて後」として記されたのが以下の5首です。

内容から、投獄された時の和歌、もしくは辞世の句と考えられます。

今日よりぞ幼心を打ち捨てて人となりにし道を踏めかし

呼びだしの声まつ外に今の世に待つべき事のなかりけるかな

討れたる吾をあわれと見ん人は君を崇めて夷(えびす)払へよ

心なることの種々くさぐさかき置きぬ思い残せることなかりけり

愚かなる吾れをも友とめづ人はわがとも友とめでよ人々

七たびも生きかへりつつ夷(えびす)をぞ攘(はら)はんこころ吾れ忘れめや

吉田松陰の和歌として残っているものは、全部で108首あるとされています。

吉田松陰はどんな人

吉田松陰 1830~59。長州藩出身。

54年、下田沖の米・ペリー艦隊(黒船)に密航を企てて失敗し投獄された。出獄後は萩で松下村塾(しょうかそんじゅく)を開き、高杉晋作や伊藤博文、山県有朋ら維新の人材を多く育てた。日米修好通商条約に絡んで幕府を批判して再び投獄され、安政の大獄で死罪となった。(朝日新聞の説明より)

 

きょうの日めくり短歌は、安政の大獄の日にちなみ、吉田松陰の和歌をご紹介しました。

他にも

これまでの日めくり短歌一覧はこちらから→日めくり短歌




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