短歌・和歌

石田三成の辞世の和歌の意味 筑摩江や芦間に灯すかがり火とともに消えゆく我が身なりけり

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石田三成の辞世の和歌・短歌である、「筑摩江や芦間に灯すかがり火とともに消えゆく我が身なりけり」について解説します。

11月6日は、関ケ原の戦いに敗れた石田三成の忌日、処刑をされた日です。

きょうの日めくり短歌は石田三成の辞世の句である和歌と、斎藤茂吉の石田三成を詠んだ短歌をご紹介します。

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石田三成の忌日11月6日

11月6日は、関ケ原の戦いで徳川家康に敗れた石田三成が、処刑された日です。

この日が石田三成の命日、忌日となります。

関ケ原の戦いとは

関ヶ原の戦い(せきがはらのたたかい)は、安土桃山時代の慶長5年9月15日(西暦1600年10月21日)に、美濃国不破郡関ヶ原(岐阜県不破郡関ケ原町)を主戦場として行われた野戦のことです。

織田信長の後を継いだ石田三成と、徳川家蓮の戦いで、戦いはわずか1日で決着、石田三成は捕らえられて、その後、処刑されることになったのです。

石田三成は自らが亡くなる前に、辞世の句となる和歌を残しました。

それが次の歌です。

 

筑摩江や芦間に灯すかがり火とともに消えゆく我が身なりけり

読み:ちくまえや あしまにともす かがりびと ともにきえゆく わがみなりけり

作者:

石田三成

 

石田三成の辞世の歌の意味

筑摩江の水辺に生えている芦、その間から、琵琶湖の猟の夜のかがり灯が見える。

朝が来れば日の出とともに、その灯火も消されてしまうが、それと同じように、私も処刑を受ける見であるのだなあ。

石田三成の短歌の解説

筑摩江というのは、琵琶湖の入り江の一つ。

芦は水辺の植物で、琵琶湖の縁の浅いところには、水辺の草が群生していたのでしょう。

その向こう側には、琵琶湖で夜通し猟をする人の、猟のための明かりの篝灯が見えるのですが、それは夜の猟のためで昼間は要りません。

石田三成は、朝が来れば処刑されるというのを知っていて、おそらく夜じゅう起きていたのかもしれません。

そして、東の空が白み、その明かりが消されれば、それが自分の終焉の朝となります。

その篝灯と同じような自分のはかない命を思うという内容の歌です。

石田三成の柿のエピソード

石田三成には、また、下のようなエピソードもあります。

三成が処刑直前に、警護の人間に喉が乾いたので水が欲しいと言ったら、柿をよこされた。

三成は「柿は痰の毒であるのでいらない。」と答えたところ、処刑前のことですので、敬語のものが「毒断ちして何になる」と笑ったそうです。

すると、三成は

「大志を持つものは、最期の時まで命を惜しむものだ」

と泰然としていたというエピソードです。

辞世の和歌の方は、悲しいものがありますが、こちらは剛毅な武士らしいエピソードでsす。

この逸話は、「茗話記」やその他の書物などにも記されていると伝わっています。

 

斎藤茂吉の石田三成の短歌

斎藤茂吉は石田三成の戦記を読んで、感じ入ったところがあるらしく、下のような歌を詠んでいます。

歌集『石泉』の「折に触れて」より
「病牀に関原合戦図志を読む」

三成(みつなり)がとらはれびとになる時の戦記(せんき)を読みて涙いでたり

 

斎藤茂吉はこの時「病床に」と記していますが、どうやら、風邪の後の気管支炎のような症状が慢性化していたようです。

春さむく痰喘(たんぜん)を病みをりしかど草に霜ふり冬ふけむとす

あしびきの山のはざまに自らはあかつき起きの痰をさびしむ

※斎藤茂吉については
斎藤茂吉の作品と生涯 特徴や作風「写生と実相観入」

きょうの日めくり短歌は、石田三成の辞世の歌他をご紹介しました。

これまでの日めくり短歌一覧はこちらから→日めくり短歌







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