斎藤茂吉のこがらしの短歌 遠く遠く流るるならむ灯をゆりて冬の疾風は外面に吹けり【日めくり短歌】  

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斎藤茂吉のこがらしの短歌 遠く遠く流るるならむ灯をゆりて冬の疾風は外面に吹けり【日めくり短歌】

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斎藤茂吉のこがらしの短歌、今年も木枯らしの吹く季節となりました。

11月4日は木枯らし1号が観測され、気象庁によって発表されました。

きょうの日めくり短歌は斎藤茂吉の木枯しの短歌をご紹介します。

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木枯しとは

今年の木枯し1号が11月4日に観測されました。

木枯らし(こがらし)とは、日本の太平洋側地域において晩秋から初冬の間に吹く風速8m以上の北寄りの風のこと。冬型の気圧配置になったことを示す現象である。 凩とも表記する。

短歌では、木枯しの他にも「疾風」と書いて、「はやち」または、「はやて」「はやちかぜ」と使われることもあります。

斎藤茂吉の木枯しの短歌は処女歌集『赤光』から晩年の「つきかげ」に至るまで見られます。

 

われひとりねむらむとしてゐたるとき外はこがらしの行くおときこゆ

読み:われひとり ねむらんとして いたるとき そとはこがらしの ゆくおときこゆ

作者と出典

斎藤茂吉 歌集『赤光』

解説

「犬の長鳴き」の中の一首。

一人で眠ろうとしている時に、木枯らしが吹きすぎる音が聞こえるという意味の歌です。

この一首だけではわかりませんが、茂吉は毎夜幼妻を思いながら眠りについていたようで、まだ婚約者に添えない寂しさが含まれています。

 

遠く遠く流るるならむ灯をゆりて冬の疾風は外面に吹けり

読み:とおくとおく ながるるならん ひをゆりて ふゆのはやちは とのもにふけり

作者と出典

斎藤茂吉 歌集『赤光』

解説

同じ「犬の長鳴き」の中の一首。

上の句「遠く遠く流るるならむ」の主語は「疾風」。

隙間から風が吹き入って電灯が揺れる。近くで見ている風なのですが、それを「遠く遠く流るるならん」と「外」に思いを馳せています。

「遠く(とほく)」は『赤光』に比較的多く使われる語で、

とほくとほく行きたるならむ電燈を消せばぬばたまの夜も更けぬる

などの表現にも、若いときの作者のロマンチシズムが伺えます。

 

さにづらふ少女(をとめ)の歎(なげき)もものものし人さびせざるこがらしの音

読み:さにずらう おとめのなげき ものものし ひとさびせざる こがらしのおと

作者と出典

斎藤茂吉 歌集『あらたま』

意味

初々しくも顔を赤くして少女の嘆きのような 重々しくきびしい、この成熟しない木枯らしの音

解説

少女の嘆きと木枯らしの音とを重ねた、比喩の歌です。

この「少女」はおそらく、妻となった輝子のことなのでしょう。

斎藤茂吉の妻斎藤茂吉の妻輝子との関わり「幼な妻」の短歌と『あらたま』の諦観モチーフ

 

こがらしの吹く音きこゆ兒を守りて寒き衢にわれ行かざらむ

読み:こがらしの ふくおときこゆ こをもりて さむきちまたに われいかざらん

作者と出典

斎藤茂吉 歌集『あらたま』

解説

第2歌集『あらたま』の後半「独居」にある歌。子というのは、長男の斎藤茂太。

斎藤茂吉はこの頃病院への勤めを一時やめており、家で過ごす日常的な歌が多い中の素朴な一連の中の一首です。

 

冬の日のかたむき早く櫟原こがらしのなかを鴉くだれり

読み:ふゆのひの かたむきはやく くぬぎはら こがらしのなかを からすくだれり

作者と出典

斎藤茂吉 歌集『あらたま』

解説

「二月作」と付記された「犬の長鳴」中の一首。

冬の風景を詠んだもの。急速に夕方になる冬の日、木枯らしが吹く櫟の生えている原っぱを鴉が巣に帰っていく様子です。

 

あしびきの山こがらしの行く寒さ鴉のこゑはいよよ遠しも

読み:あしびきの やまこがらしの いくさむさ からすのこえは いよよとおしも

作者と出典

斎藤茂吉 歌集『あらたま』祖母

解説

『あらたま』の代表作「祖母」の一首。

寒さが迫る山の風景に、聴覚であるカラスの声を加えた、絵のような一首の描写です。

 

はざまなる杉の大樹の下闇にゆふこがらしは葉おとしやまず

読み:はざまなる すぎのだいじゅの したやみに ゆうこがらしは はおとしやまず

作者と出典

斎藤茂吉 歌集『あらたま』祖母

解説

『あらたま』の代表作「祖母」の一首。

意味は「山峡にある杉の大木の下のくらがりにこがらしは、葉を落とすことをやめることなく吹いている」

この記事の解説はこちら

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はざまなる杉の大樹の下闇にゆふこがらしは葉おとしやまず『あらたま』斎藤茂吉

 

こがらしも今は絶えたる寒空よりきのふも今日も月の照りくる

読み:こがらしも いまはたえたる さむぞらより きのうもきょうも つきのてりくる

作者と出典

斎藤茂吉 歌集『石泉』

意味

こがらしの吹く季節も過ぎて、冬の空気が澄んだ静かな空から、昨日も今日も月の光が照り渡る

解説

1933年(昭和8年)作。木枯らしの吹く晩秋が過ぎて、冬が深まるにつれて月の光がますます冴え渡る様子を詠んだ歌。

この歌の解説記事はこちら
こがらしも今は絶えたる寒空よりきのふも今日も月の照りくる 斎藤茂吉

 

茫々としたるこころの中にゐてゆくへも知らぬ遠のこがらし

読み:ぼうぼうと したるこころの なかにいて ゆくえもしらぬ とおのこがらし

作者と出典

斎藤茂吉 歌集『つきかげ』

意味

こがらしの吹く季節も過ぎて、冬の空気が澄んだ空から、昨日も今日も月の光が照り渡る

解説

1950年(昭和25年)刊「つきかげ」より。

茂吉晩年の歌として、よく引かれる歌。老いが極まって、時折意識が霞むような中にいる。外に聞こえる木枯らしと心の中の寂寥が一体化されている。

 

きょうの日めくり短歌は、こがらし1号の話題より、斎藤茂吉の木枯しの短歌をご紹介しました。

これまでの日めくり短歌一覧はこちらから→日めくり短歌




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