アララギ

土屋文明の短歌代表作品と名言「生活即短歌」戦後歌壇とアララギを牽引

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土屋文明は、戦後の代表的な歌人であり、歌壇と歌誌「アララギ」を牽引しました。

土屋文明はどんな歌人か、土屋文明の短歌代表作品と”名言”とをあわせてご紹介します。

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土屋文明はどんな歌人?

土屋文明は、1890生まれ。100歳まで生きたので、1990年12月8日が命日、文明忌です。

土屋文明は群馬県生れ。1909年上京して後に「アララギ」の歌人となる伊藤左千夫宅に書生として同居しました。

伊藤左千夫の牛乳搾乳業を手伝いながら学資の援助を受けて東大哲学科に進学。

その後はアララギを主導し、長野県の高等女学校の教師、校長、法政大学・明治大学教授などを歴任。

歌集の他、「万葉集私註」などの万葉集研究の著書があります。

 

土屋文明の短歌の作風

短歌の作風は、初期作品では清新な抒情が注目されましたが、昭和初期からは、戦争に向かう日本の一時代を背後に知識人としての生き方の苦渋を歌う現実主義的な独自の歌風を展開。

叙情や情感よりも、現実を直視するもので、「文明調」「新即物主義」と呼ばれる即物的傾向で近代的な作風を確立しました。

特に、その小市民的な人生詠は、多くの歌人と短歌投稿者を生み出し、「アララギ」と戦後歌壇を牽引しました。

 

土屋文明の短歌代表作品

以下は各歌集より、土屋文明のよく知られた短歌の代表作品です。

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この三朝あさなあさなをよそほひし睡蓮の花今朝はひらかず

休暇となり帰らずに居る下宿部屋思はぬところに夕影のさす

冬至過ぎてのびし日脚にもあらざらむ畳の上になじむしづかさ

父死ぬる家にはらから集りておそ午時(ひるどき)に塩鮭を焼く

ただひとり吾(われ)より貧しき友なりき金のことにて交(まじはり)絶てり

 馬(うま)と驢(ろ)と騾(ら)との別(わかち)を聞き知りて驢来り騾来り馬(ま)来り騾と驢と来る

吾が言葉にはあらはし難く動く世になほしたづさはる此の小詩形

日本語 ( にほんご ) の 抑揚乏 ( とぼ ) しき思ひ知りさびしみし 北京の 夜 ( よる ) も忘れむ

時代ことなる父と子なれば枯れ山に腰おろし向かふ一つ山脈に

にんじんは明日蒔けばよし帰らむよ東一華(あずまいちげ)の花も閉ざしぬ

農 ( のう ) に育ち 土地  持たぬ 兄弟 ( はらから ) 三人 ( みたり ) にて山の上にもしみじみと語り合ふ

わき流るる 山下水 ( やましたみづ ) のとこしへに 一時 ( ひととき ) うつるうばゆりの花

吾が見るは鶴見埋立地の一隅ながらほしいままなり機械力専制は

生みし母もはぐくみし伯母も賢からず我が一生(ひとよ)恋ふる愚かな二人

終わりなき時に入らむに束の間の後先ありや有りてかなしむ

 

土屋文明の歌集

土屋文明の歌集は以下のものがあります。

  • 処女歌集「ふゆくさ」(大14)
  • 「往還集」(昭5)
  • 「山谷集」(昭10)
  • 「六月風」(昭17)
  • 「少安集」(昭18)
  • 「韮青(かいせい)集」(昭21)
  • 「山下水」(昭23)
  • 「自流泉」(昭28)
  • 「青南集」(昭42)
  • 「続青南集」(昭42)
  • 「続々青南集」(昭48)
  • 「青南後集」(昭59)

土屋文明の名言

短歌と作歌の指標ともなる、土屋文明の名言では、「生活即短歌」「生活即文学」が有名です。

短歌は生活の文学だ。生活の表現などというようなまぬるいものでなく、生活即文学だ。
短歌は選ばれた少数者文学だが、少数有閑者の具ではなく、一人の英雄、スターを予想しない、真剣な生活者、広い意味での勤労者の文学、勤労者同志の叫びの交換だ。
(土屋文明「短歌の現在及び将来について」より)

土屋文明記念文学館

http://bungaku.pref.gunma.jp/







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