家族にはアルバムがあるということのだからなんなのと言えない重み
1年を締めくくる12月のきょうは「アルバムの日」。
きょうの日めくり短歌は、俵万智さんのアルバム短歌をご紹介します。
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家族にはアルバムがあるということのだからなんなのと言えない重み
作者:俵万智
アルバムの日
きょうはアルバムの日。一年の最後の月の12月に「今年のアルバムを作ろう」との呼びかけで、アルバム制作会社が制定しました。
家族共有の”アルバム”
アルバムというのは、自分一人の写真を集めたものもありますが、おおむね「家族のアルバム」というイメージが強いようですね。
俵万智さんの詠んだ「アルバム」も、家族が銘々に持つアルバムではなくて、共同で所有するアルバムということです。
例え、子ども一人のアルバムであっても、それは、父と母、その子との共有であるわけです。
そして、家族の誰か一人を撮ったものであっても、アルバムの中には必ず他の家族も一緒に映ったものが混じっています。
写真と家族の被写体
また、写真というものは、最近は自撮りという観念も生まれましたが、誰か他の人が、被写体として相手を据えて撮るものです。
アルバムは皆一人では成立しない、いわば共同制作の”記録”であるのですね。
アルバムの持つ時間性と歴史
そして、これらの記録である写真をアルバムとして並置した際に、そこにおのずと加えられるものが、”時間”です。
その継時的に集められた写真に、時間という要素を加味して考える時、アルバムとは即ち家族の歴史そのものといえます。
婚外恋愛の立場で見た”アルバム”
一首の作者である俵万智さんは、既婚者と恋愛をした家族の第三者的な立ち位置から上の歌を詠んでいます。
その立ち位置から見て、アルバムというものを思い浮かべた時、その共同性と歴史性の「重み」に打ちのめされるという稀なる体験がこの歌を生みます。
家族の一人としているときは、それは重みでもなんでもない、ただの当たり前なのです。
モノローグの挿句
作者の俵さんは、その当たり前をも前提にして「だからなんなの」と挟みます。
ここは、話し言葉そのままの口語なので、作者の内心のつぶやきがそのままここに現れているのです。
しかし、この部分は、かぎ括弧で挟まれていませんので、一首全体が、そのまま作者の独白であることもわかります。
同じ作者の「『寒いね』と話しかければ『寒いね』」の下の歌と、かぎ括弧の使い方を比べてみてください。
一首の構成
一首の「アルバム」から結句の「重み」までの間は、ほぼ全部がひらがなの「あるということのだからなんなのと言えない」でつながれています。
この間は、一首全体の31文字の中の半分を占める15文字と長いので、アルバムの厚みが導かれ、必然的にそのアルバムは「重い」ことになるのです。
長い句の間(ま)の意味
また、さらに、その「あるということのだからなんなの」は、作者のモノローグを挟みながら、内心の逡巡をも表しています。
笑い飛ばしてしまいたい、しかし、それができないとの、肯定と否定が交錯している心情が「だからなんなの」のセリフだけではなく、この間の長さそもののに現れているのです。
「家族にはアルバムがある重み」とすっぱりと言ってしまえば、この内心の複雑な思いは伝わりません。
「家族にはアルバムがあるということの」のおもむろな問題提起、その後のモノローグ、そして最後の結論で初めて提示される「重み」、こういう構成を取って、初めて一首のネックである「重み」が形成されます。
この結句のアルバムの「重み」というのは、物理的なアルバムの重さではなく、そのような逡巡を持たざるを得ない、作者の心の重さでもあるわけなのです。
歌集「チョコレート革命」
この恋愛の次第は歌集「チョコレート革命」それと小説の「トリアングル」につぶさに表されています。
発表時に大きく物議をかもした歌集です。
俵さんは今はシングルマザーとしてお子さんと暮らされていますが、そこでもまた家族の重みは変わることはありません。
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俵万智プロフィール
俵万智(たわらまち)1962年大阪府門真市生まれ。
早稲田大学在学中より短歌を始める。佐佐木幸綱に師事。「心の花」所属。1987年、第一歌集『サラダ記念日』(河出書房新社)を出版、260万部を越えるベストセラーになり、第32回現代歌人協会賞受賞。歌集のほか、小説『トリアングル』、エッセイ『あなたと読む恋の歌百首』『百人一酒』など著書多数。
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