震災の短歌は、これまでもたくさん取り上げてきました。今でも地震の度に、東日本大震災の時の記憶が呼び起こされるという方も少なくないでしょう。
朝日新聞の「うたをよむ」掲載の震災の短歌を元に、当時を振り返ります。
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東日本大震災の地震の記憶
(※この記事は、2021年の新聞記事を元に再掲します)
先日、夜中に大きな地震が起こりました。東日本大震災の余震であるそうです。
土地の人からは、「怖かったね」という声が聞かれました。ただし、私はそれとは少し違う感慨を持ちました。
というのは、震災があった当時は、私は被害の大きかった今よりも北の別な町にいたからです。
先週の地震の際は、避難のために、自力で階段が下りられました。
しかし、前回の地震の時には、北の町では「揺れが大きかったため歩くことができなかった」と語る人がたくさんおり、私も同じ経験をしました。
本当に大きな地震の時には、避難をしようにも逃げられないということです。
自力で避難ができるという規模の地震は、まだまだ小さな地震なのです。
東日本大震災の短歌
そして、先日の地震ののち、日曜日の朝日新聞の「うたをよむ」にたまたま、震災を回顧する記事が掲載されました。
今回は、東日本大震災よりは小さな地震だったのは間違いありませんが、私自身の体感的な記憶が震災の短歌に対する感興を強めることになったのです。
「うたをよむ」掲載の短歌をご紹介しましょう。
朝日新聞「うたをよむ」より
死ぬ側に選ばれざりし身は立ちてボトルの水を喉に流し込む
作者:佐藤通雅『昔話』
仙台市にお住いの作者。
生と死が人々を二分したという事実をうたっています。単純に、生き残ったという感慨ではないのです。
東京のかたすみに降る春の雨ひと住めぬ街も濡らしておらむ
作者:遠藤たか子『百年の水』
作者は、南相馬の方。
「ひと住めぬ街」というのは、福島の原発事故の被害を受けた地域のことです。
その一番の被害、「住めなくなった」を「住めぬ街」と遠くから距離をとって詠んでいます。
これは地理的な距離ではなくて、心理的な距離感をもって、抑えた表現としているのです。
亡くなりし子の落書きに手が止まるここに確かに君はいたんだ
作者:千葉由紀 『境界線』
作者は、学校の先生をされていた方。
「うたをよむ」では下のようにあるのが印象的です。
千葉が、多くの教え子を亡くしたやりきれなさを託したのは短歌だった。震災前は詠んでいない。今も、詠んでいない。あの時、短歌が必要だった。
そして、避難所の短歌。
避難所の床にごろんと横臥して耳へつたった涙 から五年
作者:佐藤久嘉
避難所の風景は、毎日のようにテレビに映し出されました。
しかし、映像以上に短歌が、悲しみを伝えるのはなぜでしょうか。
風が鳴り月命日は雪催ひそれでも海へ行けるうちにと
作者:古谷隆男
月命日というのは、10日なら10日が、毎月めぐってくるその日のことです。
「行けるうちにと」が切なくてなりません。
作者が高齢の方だったり、または海岸線が変わることもあります。
いつかは、海辺でのそのお参りにすら行けなくなってしまう、海に行って、死者に寄り添えるうちはまだいい、そういう作者の心情なのでしょう。
コラムの書き手は梶原さい子さん。あまりにも悲しい震災の記憶ですが、それでも、透き通るような悲哀の中に美しさ、暖かさが感じられるのは、作者たちの、死者へ向けやままないまなざしのせいでしょうか。
生と死を分けるということ、「生き残る」ということの悲しさは、読んでいても胸が詰まる思いですが、今の時間を大切に、そして、全国に生き残っている人同士、精一杯やさしくし合おうではありませんか。
それこそが、生きる意味なのだということを教えてくれたのも、またこの震災であり、地震なのですから。
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