万葉集の挽歌は、相聞、雑歌の3つのジャンルの一つを構成しています。
万葉集の挽歌とはどのようなものか、挽歌のもっとも有名で代表的な和歌作品を一覧にまとめます。
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万葉集の挽歌
万葉集には4500首の和歌が収められており、それらの和歌は3つのジャンルに分けられます。
挽歌は、その一つをなすもので、218首があるといわれています。
三部立て名商 | 内容 | 歌の数 |
相聞(そうもん) | 男女の恋の歌 | 1750首 |
挽歌(ばんか) | 人の死に関する歌 | 218首 |
雑歌(ぞうか) | 宴や旅行での歌 | 相聞・挽歌に属さないすべての歌 2532首 |
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挽歌とは
挽歌というのは、元々は、野辺送りの時に歌われる歌でした。
野辺送りとは、葬送のとき、柩を載せた車をひく人がおり、親族がその周りをとりまいて墓までを同道します。
その死者を取り巻くその人たちが歌う悲しみの歌が元となっています。
万葉集ではそれが文学的な和歌の表現となると共に、定義も幅広くなります。
単に、野辺送りの葬儀に関わらず、広く「人の死に関する歌」が多く収められるようになりました。
万葉集の挽歌で有名な和歌
万葉集の挽歌で最も有名なものとして知られているものには、有間皇子の引き結びの松の歌、それと柿本人麻呂の泣血哀働歌、大伴旅人の亡妻挽歌があります。
- 有間皇子 引き結びの松の歌
- 柿本人麻呂 泣血哀働歌
- 大伴旅人の亡妻挽歌
万葉集の挽歌の最初は第2巻にありますが、その最もはじめに置かれたのが、有間皇子の下の歌です。
磐代の浜松が枝引き結びま幸くあらばまたかへり見む
読み:いわしろの はままつがえを ひきむすび まさきくあれば またかえりみん
作者と出典
有間皇子(ありまのみこ) 万葉集141
現代語訳
磐代の浜松の枝を引き結んで、幸い無事でいられたら、また立ち返って見よう
2首目がこちらの歌。
家にあれば笥に盛る飯を草枕旅にしあれば椎の葉に盛る
読み:いえにあれば けにもるいいを くさまくら たびにしあれば しいのはにもる
作者と出典
有間皇子(ありまのみこ) 万葉集142
現代語訳
家にいれば器に盛る飯を、旅の途中なので椎の葉に盛るのだ
秋山の黄葉を茂み惑ひぬる妹を求めむ山道知らずも
読み:あきやまの もみちをしげみ まとひぬる いもをもとめむ やまぢしらずも
作者
柿本人麻呂
歌の意味
秋山の紅葉が繁っているので、迷ってしまった妻を探そうにも道がわからないのだ
ポイント:柿本人麻呂の妻を亡くして詠んだ歌です。挽歌のもっとも有名なものの一つ。
黄葉の過ぎにし子らと携はり遊びし礒を見れば悲しも
読み:もみちばの すぎにしこらと たづさはり あそびしいそを みればかなしも
作者
柿本人麻呂 1796
歌の意味
黄葉が散り過ぎるように逝った妻とかつて手を取り合い遊んだこの黒江の磯は、ただ見るだけで悲しいことよ
我妹子が見し鞆之浦(とものうら)の室の木(むろのき)は常世にあれど見し人ぞ亡き
読み:わぎもこが みしとものうらの むろのきは とこよにあれと みしひとぞなき
446 作者:大伴旅人
現代語訳
わが妻が見た鞆の浦のむろの木は今も変わらずにあるが、見た妻はもはや世にはいない
大伴旅人の亡妻挽歌
「梅花の歌」をまとめた大伴旅人が、亡き妻をしのんで詠んだ歌です。
故郷で妻が亡くなったことを、手紙で知り、心痛の思いを詠んでいます。
大伴旅人の他の挽歌は
愛(うつく)しき人のまきてししきたへの我が手枕をまく人あらめや
帰るべき時はなりけり都にて誰が手本(たもと)をか吾(あ)が枕かむ
都なる荒れたる家に独り寝ば旅にまさりて苦しかるべし
以上、万葉集の最もよく知られた挽歌についてご紹介しました。