鎌倉の大仏を詠んだ短歌と言えば、伊藤左千夫の連作の短歌がよく知られています。
伊藤左千夫は、晩年は仏教にも系統、仏への尊敬の念が深く表れたものとなっています。
伊藤左千夫の鎌倉の大仏の短歌をご紹介します。
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伊藤左千夫の鎌倉の大仏の短歌
伊藤左千夫の大仏を詠んだ短歌とは、明治35年の「鎌倉なる大仏をろが
伊藤左千夫は明治元年生まれ、35歳の時の作品です。
正岡子規に習い始めたのが、33年ですので、短歌を本格的に始めてからまだそれほど立っておりません。
一連には、万葉集の影響が強く、万葉の歌に使われた古語はもちろんのこと、一部には、万葉仮名を用いています。
鎌倉なる大仏をろが みて詠める短歌十三首
鎌倉の大き仏は青空をみかさときつつ万代(よろづよ)までに
現代語訳:
鎌倉の大きな大仏様は、青空を天蓋としてまとう。永久に途絶えることなく
もろもろを救はむためと御仏の大きみ須加多ここにまつりし
現代語訳:
人々を救おうとして御仏の大きなこの姿をここに祀ったのだ
御仏のはなつ光は常とはに国の諸人まねくすくはむ
現代語訳:
大仏の放つ光はこの後もずっと、国中の人々をあますところなく救う
御仏の玉のみ須がた天津星仰ぎて見れば尊きろかも
現代語訳:
仏様の玉のように美しいこの姿、天の星を仰いでいるのを見れば、尊いものだ
み仏の尊く放つ御光を仰ぐ即ち罪ほろぶとふ
現代語訳:
仏さまの尊くはなつ光を見上げれば、すぐにでも罪から救われるという
かまくらの大き御仏をろがめばみのりさかれる時しおもほゆ
現代語訳:
鎌倉の大仏様を拝めば、仏法の盛んだった時代が思われる
解説
「みのり」御法=経典のこと
み裳裾に手をふりしかば全き身の血汐し澄める心地しにけり
現代語訳
仏様の足元のお着物の裾に手を触れれば、全身の血が澄んでいくような心持がする
解説
「裳裾」は着物の裾、大仏の足元のこと。
こしかたのかさなる罪も御仏の光にあみて消ざらめやも
現代語訳
これまでに重ねてきた罪も仏の光をあびて消えないではいられようか。消えるであろう
解説
「消ざらめやも」は反語
御仏のめぐみ広けく天つ日のい照らす極みめぐみ広けく
現代語訳
仏さまの恵み広い。天の日の照らす極みのように広い恵みなのだ
解説
「広けく」はク語法(クごほう)。
日本語において、用言の語尾に「く」を付けて「~(
青山のかきのまほらに万代(よろづよ)といます御仏大きみほとけ
現代語訳
青い山の木立に囲まれたこの美しい地に、永久におられますこの大きな大仏様よ
蒼空を御笠とけせる御仏のみ前の庭に梅の花さく
現代語訳
青空を頭の上にする仏様の前の庭に梅の花が咲く
千年ふる大き仏のみ庭辺の梅のたふとさ世の物に似ず
現代語訳
千年を過ぎる大仏の庭の梅の尊いことはこの世のものではない
万世にさのこりまして汚世を救ひたまはね大ほとけ
現代語訳
永遠に残り続けて汚れた世の中をお救いください。大仏様よ
解説
汚世(じょくせ)は仏教用語
斎藤茂吉の評
伊藤左千夫が鎌倉大仏を選んだこの一連は写実的であり信仰的感情がこもっています。
同じアララギの歌人で、伊藤左千夫の弟子でもあった斎藤茂吉は後年これらの歌を下のように評として述べています。
調べが重厚で豊かであり、色々なことを言って連作体にまとめたものであって、万葉だの仏足石の歌だの経典だのそういうものを参考として作っているし、「青空をみ笠」と言ったり「諸々をすくわむ」とか「仰ぐすなわち罪滅ぶ」とか、「身の血汐を澄める心地」とか色々工夫をして力作している。
然しそういう意味合いの内容よりも、左千夫的声調の荘重豊麗に心が惹かれると思う
斎藤茂吉は、「左千夫的声調」という伊藤左千夫の個性をここでも指摘しています。
以上、伊藤左千夫の鎌倉の大仏の短歌連作を現代語訳付でご紹介しました。
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