山中智恵子は、前衛短歌を代表する歌人の一人です。
山中智恵子の忌日にちなみ、きょうの日めくり短歌は山中智恵子の短歌代表作をご紹介します。
山中智恵子の短歌
「toc]
山中智恵子は、古典と前衛短歌をおりまぜた作風で、現代女性歌人の第一人者といわれた歌人です。
作品には、ひじょうによく知られた秀歌があります。
よく引用される有名な短歌は、以下のものです
さくらばな陽に泡立つを目守(まも)りゐるこの冥き遊星に人と生れて
作者と出典: 山中智恵子 歌集『みずかありなむ』
山中智恵子の短歌の特徴は、そのスケールの大きさです。
「陽に泡立つ」の独特な修辞、「この冥き遊星に人と生れて」は、古典短歌の「うつせみ」という概念を思い出させます
青空の井戸よわが汲む夕あかり行く方を思へただ思へとや
作者と出典: 山中智恵子 歌集『紡錘』
井戸は地面とその底にあるもの。
初句「青空の井戸」はその位置が逆転しています。
そこに汲むべき水は、「夕あかり」に置き換えられています。
幻想的な風景のあとに、自分の生のこれからが思われるというのです。
わが生みて渡れる鳥と思ふまで昼澄みゆきぬ訪ひがたきかも
作者と出典: 山中智恵子 歌集『みずかありなむ』
作者は、結婚はしましたが生涯子どもは持ちませんでした。
その事情は、『近代短歌の範型』大辻隆弘 に記されていますが、要は、仲の良かった夫との間に性的交渉がなかったと思われる節があります。
それは良くも悪くも歌人としての生涯を方向づけたことなのでしょう。
空を飛ぶ「鳥」に「わが生みて」という幻想はそこに根差しています。
この歌の意味は良くはわかりません。「訪れがたきかも」の目的語は人でしょうが、その人には会わない代わりに、自分の分身であるかのような鳥が、代償的に澄み渡る空を飛んでいくのを作者は見送るのです。
この鳥はいわば、作者の思いを馳せることのアレゴリーなのでしょうが、実景と思わせるまでに美しく描かれている、短歌ならでは”景色”なのです。
同じ鳥の短歌は他もいずれも美しい歌です。
とどろける夕映の底に鳥らを鎮めたしかならざる手をひとに措く
囀りはあかるき挫折 思ひより遠くひろがる鳥の浮彫(レリーフ)
行きて負ふかなしみぞここ鳥髪(とりかみ)に雪降るさらば明日も降りなむ
作者と出典: 山中智恵子 歌集『みずかありなむ』
作者の代表作と言われるのがこの歌。
「鳥髪」はスサノオが高天原を追われて、最初に降り立ったといわれる幻の土地です。
そこに雪が降る、それならば明日も降るだろう、この悲しみが尽きないように。
黄金のひかりのなかにクリムトの口吻ふ男ぬばたまの髪
作者と出典: 山中智恵子 歌集『夢之記』
クリムトの有名な絵画を現した歌。
元々の絵以上に、この歌に描かれたもののようが耽美的ではないでしょうか。
絵画を詠んで、本作を超えるというのは、なかなか難しいようですが、この作品は見事にそれを成し遂げています。
山中智恵子について
山中 智恵子(やまなか ちえこ、1925年5月4日 - 2006年3月9日)
愛知県名古屋市出身。21歳のとき「日本歌人」に入会し、前川佐美雄 に師事。深い古典教養と幻想性を混交させた作風から「現代の巫女」とも評された。女流における前衛歌人の代表的存在である。斎宮の研究でも知られる。(wikipediaより)
きょうの日めくり短歌は、山中智恵子の忌日にちなみ、山中智恵子の短歌をご紹介しました。