金子みすゞの命日です。若くして亡くなった童謡詩人ですが、その作品は後年広く愛好されるようになりました。
きょうの日めくり短歌は、金子みすゞの詩の代表作品「こだまでしょうか」をご紹介、金子みすゞについてご紹介します。
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金子みすゞ 童謡詩人として
金子みすゞは1903年(明治36年)山口県生まれ。
父が3歳で亡くなったため、不安定な家庭環境で育つも、10代半ばから詩を作り始め、雑誌『金の星』『童話』などに詩を投稿。
金子みすゞは西條八十から「若き童謡詩人の中の巨星」と称賛され、認められていました。
生涯の作品は500編あまりあるといわれます。
金子みすゞの詩「こだまでしょうか」
金子みすゞの詩「こだまでしょうか」をご紹介します。
こだまでしょうか
「遊ぼう」っていうと
「遊ぼう」っていう。
「ばか」っていうと
「ばか」っていう。
「もう遊ばない」っていうと
「遊ばない」っていう。
そうして、あとで
さみしくなって、
「ごめんね」っていうと
「ごめんね」っていう。
こだまでしょうか。
いいえ、誰でも。
この詩を読んで、俵万智の 「寒いね」と話しかければ「寒いね」と答える人のいるあたたかさ の短歌を思い出す人もいるようです。
もし、金子の詩に触発されたとすれば、それもまた素晴らしい詩的な連鎖ですね。
この頃の児童文学は多かれ少なかれ、子どもへの教唆が含まれていることが多いです。
教育的なものをという配慮なのでしょうが、俵万智さんの短歌の方は、「あたたかさ」と答えてくれる人のいる暖かさの実感を率直に述べているところがポイントですね。
金子みすゞの不幸な結婚
みすゞが結婚をしたのは、大正15年でしたが、結婚後に夫と不仲になり、夫から詩作を禁じられ断筆を余儀なくされます。
夫の女遊びなどの遊蕩と、仕事がうまくいかなくなったことや、その他の感情的なすれ違いなどの何らかの腹いせであったようです。
その夫との離婚が決まっていたのに、子どもをめぐる親権のトラブルが生じ、26歳の若さで自ら命を絶ちました。
金子みすゞの死因は服毒による自殺
金子みすゞの死因はカルモチンという当時使われていた睡眠薬の服毒自殺です。
他に、夫から感染した性病がかなり重かったようですので、病苦もあったのかもしれません。
金子みすゞの夫と弟
夫の宮本啓喜は、その後再婚をして子供をもうけたという話がネットに出ています。
みすゞの弟上山雅輔は、劇団若草の創始者として活躍されたようです。
きょうの日めくり短歌は、金子みすゞの忌日「みすゞ忌」にちなみ、金子みすゞについてご紹介しました。
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