稲つけばかかる我が手を今夜もか殿の若子が取りて嘆かむ 万葉集東歌  

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稲つけばかかる我が手を今夜もか殿の若子が取りて嘆かむ 万葉集東歌

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稲つけばかかる我が手を今夜もか殿の若子が取りて嘆かむ

万葉集の東歌の有名な和歌、代表的な短歌作品の現代語訳、句切れと語句などを解説します。

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稲つけばかかる我が手を今夜もか殿の若子が取りて嘆かむ

読み:いねつけば かかるあがてを こよいもか とののわかごが とりてなげかん

作者と出典

万葉集14巻 3459 作者不詳

現代語訳

稲つきによって荒れた私の手を取って、今夜もお屋敷の若様が嘆くことであろうよ

※万葉集の東歌一覧はこちらから

万葉集の原文

伊祢都氣波 可加流安我手乎 許余比毛可 等能乃和久胡我 等里弖奈氣可武

句切れと表現技法

3句切れ

語彙と文法

  • 稲つけば…稲を棒でつく農作業
  • かがる…ひびのきれること。あかぎれ。
  • 我が手…読みは「あが」。東歌特有の方言
  • 「か…嘆かむ」… 係り結びの法則
  • 殿の若子…屋敷の主人を表すが架空の対象でもある。以下に解説
  • 取りて…手を取って、握っての意味
  • 嘆かむ…「む」





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解説と鑑賞

東歌の有名な歌。

卑しい少女が身分違いの恋人に会える予感と喜びが歌の主題と内容です。

そして、あかぎれの生じた手を見られることへの恥じらいが言外にあり、初々しくほのぼのとした内容です。

労働歌との説

一首の意味の通りだと、屋敷の主人と恋愛関係にある作者が、その思慕を詠った歌ということになりますが、もう一つの説は、この歌が労働歌であるとするもので、この説が有力です。

稲つきをしながら、皆で声を合わせて歌を歌いながら作業をしたというのが、労働歌です。

斎藤茂吉の解説

これまでの解釈では、アララギ派の歌人の伊藤左千夫は、相聞、恋愛の歌との見解を述べましたが、斎藤茂吉は労働歌との解釈を述べています。

内容が戯曲的であるから、いろいろ敷衍して解釈しがちであるが、これも農民のあいだに行われた労働歌の一種で、農婦等がこぞってうたうのに適したものである。それだから「殿の若子」も、この「我が手」の主人も、であってもかまわぬのである。―『万葉秀歌』より

 

「稲つけば」の小説 伊藤左千夫

伊藤左千夫は、この歌に深く感銘を受けて、この歌を題材にした「新万葉物語」という小説があります。

立派な家の三男に思われている少女お小夜が、夜に一人で米をつく場面で話が終わっており、伊藤左千夫が実際の恋愛を詠んだ歌とこの歌を考えていたことがわかります。

それだけに、健気でつつましい若い女性の心情が表された歌として、長く人々の心をひいてきた東歌の代表的な和歌の一つです。




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