三輪山をしかも隠すか雲だにも心あらなも隠さふべしや
額田王(ぬかたのおおきみ)の万葉集の和歌の代表作品の、現代語訳、句切れや語句、品詞分解を解説、鑑賞します。
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読み: みわやまを しかもかくすか くもだにも こころあらさも かくさうべしや
作者と出典
万葉集 額田王 ぬかたのおおきみ 1-18
現代語訳と意味
三輪山を そんなにも隠してしまうのか せめて雲だけでも 思いやりがあってほしいのに 隠して良いものか
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語句と文法の解説
- 三輪山…奈良県にあるなだらかな円錐形の山
- しかも…「しか」は「そんなに」の意味。「も」は副助詞の強調
- 隠すか…「か」は詠嘆の終助詞
- 雲だにも…「だに」は最小限の事柄を受け、「せめて何々だけでも」の意味を表す副助詞
- あらなも…「なも」は「なむ」と同じ。動詞の未然形につき、実現不可能なことを希求する助詞
かくさふべしや」の品詞分解
隠す…動詞
ふ…「ふ」は反復継続の助動詞
べし…助動詞 意味は「(する)のがよい。適当である。のがふさわしい」
や…反語の終助詞
「べしや」は、現在進行中の事態に対して「してよいものか、いやよくない」という意味の反語表現
※反語については
反語を使った表現 古文・古典短歌の文法解説
句切れと修辞について
- 2句切れ
- 反語
解説と鑑賞
「味酒三輪の山の」に始まる長歌への反歌。
作者については、詞書には「山上憶良大夫の類聚歌林に…天智天皇が詠まれた御歌」とあり、作者ははっきりしていないが、額田王の代作という説もある。
長歌ともども、作者額田王の巫女的で、女性的な心性が発揮された感情豊かな歌。
画像は現在の三輪山の様子。
三輪山の長歌
三輪山の長歌の方は以下の通り。
味酒(うまさけ) 三輪の山 あをによし 奈良の山の 山のまに い隠るまで 道の隈 い積もるまでに つばらにも 見つつ行かむを しばしばも 見放けむ山を 心なく 雲の 隠さふべしや
三輪山の長歌の現代語訳
この意味は
三輪の山が奈良の山の山の端に隠れるまで、道の曲がり目が幾重にも重なるまで、 十分に見続けていきたいのに、幾たびも眺めたい山なのに、つれなくも雲が隠して良いものか
反歌とは
古代の三輪山と神
旅立ちの時に詠まれた歌で、名残に三輪山の姿をいつまでも見ながら旅を進めていきたいのに、雲が山の姿を隠している。
その雲に向かって、作者額田王が呼びかける形で、神のご意志なら仕方がないが、「せめて雲だけでも、心があれば、隠すべきではないのに」と表す。
山に向かって呼びかける作者の態度を斎藤茂吉は「あたかも、生きた人間に向かって物言うごとき態度に出て」いるとしている。
また、それにより額田王の自然と自然をつかさどる神とも近い、巫女的な位置についても推し量ることができる。
雲は、大和の国魂である三輪山の神威の発現であったと考えられる。
そのため、雲がかかっている山というのは、神は威厳を以て自らの姿を隠しているということであった。
作者額田王のこの歌は、この雲に向かって訴える形をとりながら、三輪山の神威を表し、その大切な大和の別れを惜しむ惜別の情を表現している。
「隠さふべしや」の結句
「隠さふべしや」の結句は、長歌の最後においても用いられており、この反歌の短歌においても繰り返すことで、最後のこの句にこの気持ちが集中するように強く表されている。
額田王はどんな歌人?
額田王(ぬかたのおおきみ)は、「鏡王の娘」という以外詳しい出自や生年などもわかりません。
古いことなので、万葉集の作者やその時代の人には、有名でありながらそのような例もたくさん含まれています。
額田王は飛鳥の宮廷に入り、まず大海人皇子と結婚しますが、そのあと兄の中大兄皇子(なかのおおえのおうじ)の妻になります。
また万葉集の歌人、鏡王女は額田王の妹とされています。
額田王について
『万葉集』初期の女流歌人。生没年不詳
7世紀後期の女流万葉歌人『日本書紀』に鏡王の娘とあるが、鏡王については不明。同じ万葉女流歌人で藤原鎌足の室となった鏡王女 (かがみのおおきみ) の妹とする説もある。大海人皇子 (天武天皇) に愛されて十市皇女 (とおちのひめみこ) を産んだが、のちに天智天皇の後宮に入ったらしい。この天智天皇、大海人皇子兄弟の不仲、前者の子大友皇子と大海人皇子との争い、壬申の乱などには彼女の影響が考えられる。―ブリタニカ百科事典
額田王の和歌作品について
額田王の残した歌はそれほど多くはなく、短歌が9首、長歌が3首、全部で12首の歌があります。
代表的な歌は
あかねさす紫野行き標野行き野守は見ずや君が袖振る/額田王の有名な問答歌
その歌の特徴は、「ふくよかでありながら、力強く凛々しい」歌と言われています。
額田の王の和歌の特徴
『万葉集』には、皇極天皇の行幸に従って詠んだ回想の歌を最初とし、持統朝に弓削 (ゆげ) 皇子と詠みかわした作まで、長歌3首、短歌 10首を残している (異説もある) 。職業的歌人とする説もあるが、歌には明確な個性が表われている。質的にもすぐれており、豊かな感情、すぐれた才気、力強い調べをもつ。(同)
額田王他の短歌
秋の野のみ草苅り葺き宿れりし宇治の宮処(みやこ)の仮廬(かりいほ)し思ほゆ
熟田津に船乗りせむと月待てば潮もかなひぬ今は漕ぎ出でな