うち出ででもありにしものをなかなかに苦しきまでも嘆く今日かな
「和泉式部日記」、平安時代の女流歌人の和泉式部が記した日記の「夢よりもはかなき世の中に」の部分の和歌の現代語訳と解説を記します。
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うち出ででもありにしものをなかなかに苦しきまでも嘆く今日かな
現代語での読み:うちいででも ありにしものを なかなかに くるしきまでも なげくきょうかな
作者と出典
『和泉式部日記』 帥宮(そちみや)
自分の気持ちを表さなくてもよかったのに、なまじっか言ってしまったばかりに、苦しいほど嘆かれる今日の思いであるよ
文法の解説
一首の文法と主要部分の品詞分解です。
「うちい出でも」の品詞分解
- うち出ででも…「うちいづ」が基本形。意味は「口に出して言う」ここでは恋愛の気持ちを伝えること
- でも…連語 「…ないで。…ずに」 上を打ち消し、下に続ける。
「ありにしものを」の品詞分解
- ありにし… 基本形「あり」。ラ変の連用形
- に…完了の助動詞「ぬ」の連用形
- し…終助詞「き」の連用形
- ものを 接続助詞《接続》活用語の連体形に付く。
〔逆接の確定条件〕…のに。…けれども。
気持ちを打ち明けないことも「あり」の肯定、「打ち明けなくてもよかった」が、続く「ものを」で反転して「打ち明けたので」。
「うちい出でもありにしものを」の上句の全体の意味は、「打ち明けなくてもいいものを打ち明けたけれども」。
解説
橘の花に対しては返歌が来たものを、次の歌には返事がなく、消沈する帥宮が、返事がなく落胆する気持ちをそのまま詠んで送っています。
「うち出ででもありにしものを」の理解が一首のポイントですが、言ってしまったことは、もはや取り返しがつかない。送った相手の「女」からの返事がないので、恥ずかしく撤回したいような気持であるのを、いささかの後悔をこめて、「…ものを」と表現しているのです。
「うち出ででも」の歌の背景とあらすじ
「夢よりもはかなき世の中を」の冒頭は
(原文)夢よりもはかなき世の中を、嘆きわびつつ明かし暮すほどに、四月十余日にもなりぬれば、木の下暗がりもてゆく。
(現代語訳)夢よりもはかない世の中を、嘆きながら暮らしているうちに4月10日も過ぎることとなり、木下も茂る葉陰で、暗く見えるようになった。
というもので、これが日記の始まりです。
こうして、4月の青葉を眺めている所に、帥宮の使いが橘の花をもってやってくるところから、二人のやりとりの物語が始まります。
橘の花の返事に和泉式部と思われる「女」が、使いの者に歌の手紙を渡します。
それが一首目「薫る香によそふるよりはほととぎす聞かばやおなし声やしたると」。
次に、男性である帥宮がこれに、初めて和歌を送るのが「おなじ枝に鳴きつつをりしほととぎす声は変らぬものと知らずや」の歌です。
ところが、それに、歌を贈った相手である和泉式部は返事をよこしません。
和泉式部である主人公の「女」は「をかしと見れど」、つまり「興味を引かれたけれども」、「常はとて御返り聞こえさせず」、つまり、いつも返事をするのはどうかと思って、今回は返事をしないでいると、帥宮が落胆して送ったのがこの歌です。
「夢よりも」の中では、最初から数えて3首目の歌となります。
「和泉式部日記」について
和泉式部日記は、平安時代中期の女流歌人、和泉式部(いずみしきぶ)が記した作品です。
内容は、1003年(長保5)4月から翌1004年1月にかけて、和泉式部と帥宮敦道(そちのみやあつみち)親王との恋愛の経緯を、歌物語風につづったもの。
重要なのは、その中に含まれる147首もの和歌作品です。優れた歌人である和泉式部のその贈答歌のやりとりで二人の心情を浮き立たせるものとなっています。
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