吉井勇の短歌代表作 かにかくに祇園はこひし寝るときも枕の下を水のながるる  

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吉井勇の短歌代表作 かにかくに祇園はこひし寝るときも枕の下を水のながるる

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吉井勇は明治生まれの歌人、処女歌集『酒ほがい』は祇園での放蕩の様子を詠み、話題となりました。

きょうの日めくり短歌は、忌日「紅燈忌(こうとうき)」にちなみ、吉井勇の短歌代表作と、どんな歌人かをご紹介します。

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吉井勇とは

吉井勇は、明治19年生まれ、祖父は伯爵という名門の家柄に生れました。

20歳で歌誌『明星』に投稿、その後、上梓した歌集『酒ほがい』の大胆な内容と表現が、話題を集め、文壇の地歩を固め、以後、小説や脚本の作家としても活躍しました。

11月19日は、吉井の忌日、「勇忌(いさむき)」の他、歌にちなみ、「紅燈忌(こうとうき)」「かにかく忌」と呼ばれています。

吉井勇の短歌の特徴

吉井勇の初期の短歌の特徴は、酒と情痴、遊蕩の享楽と頽廃にあります。

そのうち、京都の祇園に滞在し、その際に見聞きした事物を詠ったものが、有名です。

吉井勇の代表作短歌

吉井勇の代表作として、最も多く引用されるものは、

 

かにかくに祇園はこひし寝るときも枕の下を水のながるる

祇園に滞在、夜も昼もない時間を過ごしたのちに、その時を回顧する歌で、歌碑ともなって知られています。

「七日ほど春宮冊子のなかに住みわが魂は消えて失せつも」という放蕩の具合でした。

他に祇園の章には

白き手がつと現はれて蝋燭の心を切るこそ艶かしけれ

あかつきの光のなかになまめくは雑魚寝寝起の細帯のひと

かより合ひ転び合ひたる雑魚寝びと遊び倦きたるあけがたの月

われをかし祗園に入りて祗園に入りてあはれにも昼なき人となりにけらしな

などの、遊蕩ぶりを伝える歌が並びますが、良くも悪くもこれが、人々の関心を引き、吉井勇の『酒ほがい』を世に知られるものとしたのです。

祇園での遊蕩と雑魚寝

吉井はこの雑魚寝について「雑魚寝」と題する一文中、下のように

最初こういう一夜を白川に近い或る茶屋で過した時には、何だかまるでこの世の出来事ではないような気がして、何時しか自分が紅楼夢中の人となつているように思われてならなかつた。

と語っています。

祇園以外の歌については、以下のようなものも見らないわけではありません。

大空はかぎりもあらぬ眼(まなこ)もてわれらを眺む秘めがたきかな

かりがねは空ゆくわれら林ゆく寂しかりけるわが秋もゆく

船大工小屋の戸口にあらはれてわれらを笑ふ晝顔の花

山に問ふ山は答へず山をゆき山のこころをいまださとらず

酒みづきさなよろぼひそ躓かば魂(たま)を落とさむさなよろぼひそ

かなしみて破らずといふ大いなる心を持たずかなしみて破る

 

吉井勇の妻徳子のスキャンダル

吉井勇の大きな方向転換は、妻徳子のスキャンダルでした。

これは、斎藤茂吉の妻輝子も関わった、いわゆる「不良華族事件」で、吉井勇が華族だったことからも、なお大きな醜聞となって取り上げられました。

家庭内は不穏となり、勇は徳子とも離婚、その頃の生家の没落とも重なって、大きな痛手を受けた吉井は、高知県に転居、隠棲します。

空海をたのみまゐらすこころもてはるばる土佐の国へ来にけり(人間経)

その後は、新しい妻を得て再婚。

再婚後は、京都に移り住んで、若き日に好んだ祇園の近くに終生住みました。

わが胸の鼓のひびきとうたらりとうとうたらり酔へば楽しき




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