霰降り鹿島の神を祈りつつ皇御軍に我れは来にしを 鹿島神宮の防人の歌『万葉集』  

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霰降り鹿島の神を祈りつつ皇御軍に我れは来にしを 鹿島神宮の防人の歌『万葉集』

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霰降り鹿島の神を祈りつつ皇御軍に我れは来にしを 作者は、奈良時代の防人、大舎人部千文。

鹿島神宮に碑がある万葉集の有名な和歌を鑑賞、解説します。

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霰降り鹿島の神を祈りつつ皇御軍に我れは来にしを

読み:あられふり かしまのかみを いのりつつ すめらみくさに われはきにしを

作者

作者不詳 大舎人部千文 おおとねりべのちふみ 万葉集 4370

現代語訳

鹿島の神に武運を祈りながら、天皇の兵士として俺は来たのだに

句切れと修辞

  • 句切れなし

語と文法

・霰降り…鹿島の枕詞

・祈りつつ…神仏を念じ祈願するの意味

・皇御軍…皇(すめら)た天皇のこと。その軍隊のことをいう

・われは来にしを…文末の「を」は逆説 「来たのに」の意味

鹿島神宮のこの歌の碑

 

解説と鑑賞

防人の詠んだ歌。鹿島神宮には、この歌を刻んだ石碑が立っている。

他に、『愛国百人一首』(1943年)にもこの歌が採られた。

『愛国百人一首』は、愛国の精神が表現されたとする名歌百首を選んだもの。

一首の主題

天皇の兵士、防人としての心持と決意を表す歌。

作者については、万葉集に「右の二首、那珂郡の上丁大舎人の千文」との記載があり、同じ作者の一首前の歌を前提として詠まれたもので、一首だけではなく、二首を対にして鑑賞するのがよいと思われる。

ただし、斎藤茂吉はこれについて、逆説とは解釈していない。それについてはこの下に記載のこと。

前の歌

前の歌は

筑波嶺のさ百合の花の夜床にもかなしけ妹そ昼もかなしけ

(つくばねの さゆりのはなの ゆとこにも かないけいもそ ひるもかなしけ)

であり、妻への思いを詠ったものである。

「霰降り」は枕詞

「霰降り」は「鹿島」の枕詞で、あられが降る時の音が、ばらばら「かしましい」というところから、「鹿島」の掛詞となっている。

結句「来にしを」

結句の「来にしを」の「を」は逆説であり、「前の歌の妻を思う状に自ら反発しようとする気持ちを含める」。(『万葉集』日本文学古典全集)

したがって訳としては、「我は来たのだ」ではなくて、「来たのだが」となり、強い決意というだけではなく、緩和された表現と心持が見て取れる。

斎藤茂吉の『万葉秀歌』より

斎藤茂吉は、この結句の解釈について、感嘆の助詞であると解し、下のように述べている

 結句の「を」は感歎の助詞で、それを以て感奮の心を籠めて結句としたものである。併し若しこの「来にしを」を、「来たものを」、「来たのに」というように余言を籠もらせたと解釈するなら、「皇御軍のために我は来しますらをなるを、夜昼ともに悲しと思ひし妻を留めて置つれば心弱く顧せらるゝ事を云ひ残して含めるなるべし」(代匠記)か「鹿島の神に祈願りて官軍に出いでて来しものをいかでいみじき功勲を立てずして帰り来るべしや」(古義)かのいずれにかになる。出典:-『万葉秀歌』より

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