万葉集

たまきはる宇智の大野に馬並めて朝踏ますらむその草深野 中皇命『万葉集』

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たまきはる宇智の大野に馬並めて朝踏ますらむその草深野 作者中皇命(なかつすめらみこと)の万葉集の代表的な和歌を鑑賞、解説します。

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たまきはる宇智の大野に馬並めて朝踏ますらむその草深野

現代語での読み:たまきはるおほぬうまなめて あさふますらむ そのくさふかぬ

作者

中皇命 なかつすめらみこと  万葉集 1-4

現代語訳

今ごろは、宇智の大きい野に沢山の馬をならべて朝の御猟をされて、その朝草を踏み走らせておいででしょう。
露の一ぱいおいた草深い野が目に見えるようでございます

句切れと修辞

  • 4句切れ

語と文法

たまきはる…枕詞「うち」にかかる。

宇智は地名

大野…人里離れた野のこと

婦ますらむ…「らむ」は推量で想像を指す

 

解説と鑑賞

「宇智野に遊猟したもうた時、中皇命が間人連老をして献らしむる歌」とある長歌の反歌の短歌。

万葉集で一番最初の短歌の形式の歌となる。

作者は女性舒明天皇の皇女とされている。

歌の中の主語は舒明天皇となる。

一首の主題

「宇智野に遊猟したもうた時、中皇命が間人連老をして献らしむる歌」というのは、作者が間人連(はしひとのむらじ)に歌を託して、天皇のいる狩場に持たせたということで、狩猟を祝福している。

作者の心情

みずみずしい歌であり、狩猟を祝うと同時に豊穣の約束された野への祝福の気持ちを表している。

斎藤茂吉の『万葉秀歌』解説より

斎藤茂吉は『万葉秀歌』にこの歌を取り上げて、まずこの歌の代作説に対し否定を述べている。

 作者が皇女でも皇后でも、天皇のうえをおもいたもうて、その遊猟の有様に聯想し、それを祝福する御心持が一首の響に滲透している。(中略)この歌の調べに云うに云われぬ愛情の響があるためで、古義は理論の上では間人連老の作だとしても、鑑賞の上では、皇女の御意云々を否定し得ないのである。此一事軽々に看過してはならない。それから、この歌はどういう形式によって献られたかというに、「皇女のよみ給ひし御歌を老オユに口誦クジユして父天皇の御前にて歌はしめ給ふ也」(檜嬬手)というのが真に近いであろう。

さらに一首を万葉集最高峰として、高く評価している。

一首は、豊腴にして荘潔、些いささかの渋滞なくその歌調を完して、日本古語の優秀な特色が隈なくこの一首に出ているとおもわれるほどである。句割れなどいうものは一つもなく、第三句で「て」を置いたかとおもうと、第四句で、「朝踏ますらむ」と流動的に据えて、小休止となり、結句で二たび起して重厚荘潔なる名詞止にしている。この名詞の結句にふかい感情がこもり余響が長いのである。作歌当時は言語が極めて容易に自然にこだわりなく運ばれたとおもうが、後代の私等には驚くべき力量として迫って来るし、「その」などという続けざまでも言語の妙いうべからざるものがある。長歌といいこの反歌といい、万葉集中最高峰の一つとして敬うべく尊むべきものだとおもうのである。―「万葉秀歌」斎藤茂吉著

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この歌の本歌取り

この歌の類歌に、山部赤人の歌「朝猟に鹿猪<み起し夕狩に鳥ふみ立て馬並なめて御猟ぞ立たす春の茂野に」(巻6-926)がある。

中皇命の他の歌

君が代も我が代も知るや磐代いはしろの岡の草根をいざ結びてな(1-10)
我が背子は仮廬かりほ作らす草かやなくば小松が下したの草かやを刈らさね(1-11)
我が欲ほりし野島のしまは見せつ底深き阿胡根あこねの浦の玉ぞ拾ひりはぬ(1-12)

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