水の地球すこしはなれて春の月 正木ゆう子 作者による情景の解説と感想  

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水の地球すこしはなれて春の月 正木ゆう子 作者による情景の解説と感想

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水の地球すこしはなれて春の月 作者正木ゆう子の教材に使われる俳句の意味の解説、鑑賞と感想を合わせて記します。

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水の地球すこしはなれて春の月

現代語での読みと発音:

みずのちきゅう すこしはなれて はるのつき

作者と出典:

正木ゆう子 まさきゆうこ 句集『静かな水』

現代語訳

命の水をたたえたこの地球を宇宙から眺めれば、その少し離れたところにある春の月と並んで浮かんでいる

 

句切れと切れ字

・区切れなし

・初句切れ

季語

季語は「春」 春の季語

形式

有季定型

その他表現技法

・体言止め

・初句 字余り

 
 

解説

宇宙から見た地球と月というダイナミックな視点の変換が行われたスケールの大きな俳句。

作者自身が句を詠んだときの体験を記しているところから、湖のそばでの観想によって、宇宙に立って地球を眺めたのかのようなありえない構図が生まれたことがわかる。

この句の意味

作者の自解によると、作者の故郷、熊本の江津湖の水神様の石段に座っていた時、夕日に照らされながら、ふと「月と地球がいま並んで太陽に照らされている、と気づいた」という。

夕日に照らされている自分も地球の一部であると感じた作者は、その体感から地球が太陽に照らされているとの思いを強く持つ。

傍らには水をたたえた湖があり、そこから「水の地球」という表現が生まれたのだろう。

そして、今自分が見ている月は宇宙から眺めれば、「地球と月」の取り合わせで太陽に照らされていると思い描き、それを句に詠んだと思われる。

正木ゆう子自身の解説

厳密にいえば、月と並んで夕日に照らされているのは、地球ではなく私の顔なのだが、私はすなわち地球の一部である。夕日は今しも金峰山の方に沈みかけて、赤光を増した太陽が私の顔をあたたかく照らす。気配を感じて振り向くと、東に月が上がっていた。(中略)もしも宇宙から眺めれば、地球と小さな月とが、仲良く並んで太陽に照らされているのが見えるに違いない。-「十七音の履歴書」正木ゆう子著より

 

私自身のこの俳句の感想

湖の風景から思い描いた「水の地球」という言葉は、命にあふれる地球という星の美しさを思い出させてくれます。普段のくらしではけっして思い描けない視点です。地球から見た月は、目には見えるけれども遠い遠いところにありますが、宇宙から見た場合の月は、「少し離れて」という程度。このようなありえない視点の変換が一句を成り立たせています。作者が湖のほとりいたときに生れた句だそうですが、頭に浮かんだものが、あたかも自分の見たもののように描かれるところも、俳句の不思議で面白いところでsう。

江津湖の風景と場所

〒862-0909 熊本県熊本市東区湖東3丁目11−8

正木ゆう子の他の俳句

しづかなる水は沈みて夏の暮

月のまはり真空にして月見草

はなびらと吹き寄せられて雀の子

藤の花よりもはるかに桐の花

紫陽花と静かに糸を待つ針と

サラダさっと空気を混ぜて朝曇

 

正木ゆう子について

正木 ゆう子(まさき ゆうこ)1952年熊本県生れ

来歴・人物[編集]

熊本県熊本市生まれ。熊本県立熊本高等学校、お茶の水女子大学卒業。2000年俳論集『起きて、立って、服を着ること』で第14回俳人協会評論賞受賞。2001年より読売新聞俳壇選者となる2003年、第三句集『静かな水』で芸術選奨文部科学大臣賞受賞2017年、第五句集『羽羽』で蛇笏賞受賞。2019年、紫綬褒章受章。

以下ウィキペディアより。

現代の女性のライフスタイルを反映した奔放な詠みぶりで、同世代の女性俳人の先駆けとして活躍。代表句に「いつの生(よ)か鯨でありし寂しかりし」(『水晶体』)、「かの鷹に風と名づけて飼ひ殺す」(『悠 HARUKA』)、「水の地球すこしはなれて春の月」(『静かな水』)などがある。-出典:正木ゆう子 wikipediaフリー百科事典




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