梅一輪一輪ほどの暖かさ 服部嵐雪の有名な俳句の意味の解説、表現技法の工夫について記します。
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梅一輪一輪ほどの暖かさ
現代語での読みと発音:
うめいちりん いちりんほどの あたたかさ
作者と出典:
服部嵐雪 はっとりらんせつ 句集「玄峰集(げんぽうしゅう)」
現代語訳
冬の寒さの中、寒梅一輪だけが咲き開くそのわずかな暖かさよ
句切れと切れ字
・切れ字なし
・初句切れ
・体言止め
季語
季語は 句の中ではなく前書きにある「寒梅」の言葉から 季節は「冬」とされる。
「寒梅」は冬の季語であるため。
ちなみに「梅」は春の季語
形式
有季定型
解説
江戸時代の俳諧師、服部嵐雪 はっとりらんせつ の梅と春を迎えようとする季節を詠んだ句。
この句の意味
「梅」は「春の季語」とされ、初春などまだ春の浅い頃に咲くことが多いのだが、この句は、前書きに「寒梅」とあるため、冬のさ中に咲いた梅と解釈するのが正しいようだ。
なので、どんどん梅がひとつずつ開いていくという意味ではない。
「梅一輪」の解釈
「梅一輪」は初句で、この句はここで切れるため、「一輪、また一輪」と読んで解釈をすると誤りとなる。
「梅一輪」「その一輪の暖かさ」という意味になる。
後者の「一輪ほどの」は、暖かさの程度と、その暖かさが起因するものを同時に提示していることになるだろう。
寒梅と情景
梅の枝はもちろん、他の植物にも芽はあっても葉が新しく芽吹くということはないし、梅以外の花が咲くこともない。
その寒々とした屋外の景色の中で、梅が枝先にたった一輪だけ咲いている。
その梅の花が心に灯すものを、「暖かさ」と呼んでいる。
作者の思いと感動のポイント
「暖かさ」は実際の気温の上昇や気候の変化ではなく、作者の心が梅の花を見て感じた、いわば心の温まる思いを「暖かさ」と端的に表現していると思われる。
厳しい寒さの中でも花開く梅の花を見つけたことに、作者の感動のポイントがある。
「暖かさ」は実際のことではなく、作者の心に兆したものであり、作者の希求するものでもある。
たった一輪の梅に心楽しくなり、暖かくなるような気がするという繊細で詩的な感性もうかがえる。
表現技法と工夫
「梅一輪」で一度切って、その一輪に表されるような温かさであるよ、という意味で「一輪ほどの」と言葉を重ねている。
初句の「梅一輪」は情景の描写、作者見たものをそのまま提示している。
2句から下は、その情景から作者が受ける感じを表していると場面を2つに分けられる。
私自身のこの俳句の感想
この句を詠んだ最初は、梅がどんどん咲いていくごとに暖かくなっていくという意味だと思っていましたが、そうではなくて、咲いていたのは一輪だけの梅だということがわかりました。たった一輪の梅を喜ぶ気持ちがこの句を詠ませたのだと思います。感受性の鋭い作者はそれだけで暖かくなるような気もしたのでしょう。普通の人が見過ごしてしまうような一輪の花、一陣の風にも物を思う感性にこそ感嘆を覚えます。
服部嵐雪の他の俳句
うまず女の雛かしづくぞ哀なる
よろこぶを見よやはつねの玉箒
ほつほつと食摘あらす夫婦かな
霜朝の嵐やつゝむ生姜味噌
ふとん着て寝たる姿や東山
服部嵐雪について
服部 嵐雪(はっとり らんせつ、承応3年(1654年) - 宝永4年10月13日(1707年11月6日))は、江戸時代前期の俳諧師。幼名は久馬之助または久米之助、通称は孫之丞、彦兵衛など。別号は嵐亭治助、雪中庵、不白軒、寒蓼斎、寒蓼庵、玄峯堂、黄落庵など。松尾芭蕉の高弟。雪門の祖。――出典:服部嵐雪『フリー百科事典 ウィキペディア日本語版』