AI短歌が朝日新聞のトップページで紹介されました。
7月6日サラダ記念日にちなんでその名も「万智さんAI」。
俵さんの感想と、AI短歌の可能性について考えます。
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AI短歌とは
そもそもAI短歌とは何かというと、一言で言えば人工知能が作り出す短歌です。
今回は、俵万智さんの歌集『サラダ記念日』をAIに学習させ、その上で、上の句をまず入力。
文脈に合った下の句をAIが生成するというもので、まるで連歌のような感じで作られていきます。
上の句を入れて下に続く短歌とは、1首2首ではありませんで、短時間に文字通り「無数に生成」されます。
AI短歌の実例
たとえば俵さんが
「一人称あまり使わぬ日本語に」
と上の句を考えます。
するとAIの作り出す下の句は、それこそ無数にその下に並ぶわけですが
一人称あまり使わぬ日本語に もう一度触れ 愛の贈物
・・
一人称あまり使わぬ日本語に 慣れてくると 言葉のシャワーを
俵万智さんが驚いた短歌
AIなので、かなりランダムなのですが、このうち、俵さんが、「やられた!」と思ったのが下の短歌
一人称あまり使わぬ日本語に 君の心を隠しているか
だそうです。
この下の句に関しては、「サラダ記念日」にあった言葉からできているわけですが、上下とも、AI作というよりは、俵万智作であって、いわはAIと俵万智さんの合作のような短歌ということになるでしょうか。
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俵万智短歌代表作まとめ
AI短歌に対する評価
俵さんはこれについて
「私達が歌をどう学んでいったらよいか、ヒントを与えてくれる」
と言いながらも
歌をつくることは、自分の心の揺れを見つめ、感じたことを味わい直すこと
と定義し、
歌の種は人の心にあるわけで歌を読むのはあくまで自分
と述べられました。
永田和宏さんのコメント
歌人の永田和宏さんはAI短歌について、興味深い指摘をしています。
AIとが作った短歌で感激したあとに、作者がAIとだとわかったら、僕は失望すると思う。だけど最初の感激は嘘だったのかと言われると、うそじゃない
この永田さんの言葉の意味は、深く考えて見る必要がありますね。
短歌を人が作る意味とは
そして、短歌の意義の核心というのは、記された文字にあるのではないこともわかります。
その歌を読んだときに、人の心に浮かぶもの。言ってみれば、それが”短歌”であるわけなのですね。
なので、作者がAIでも実は変わらないのです。
ただし、AIは、ただ言葉を定形に並べているだけであって、短歌の季節や場面を含め細かい表現技法を予め考えているわけではないということです。
言ってみれば、言葉が定形に並んでいるものが短歌なのではありません。
良い短歌というのは、内容も人の心を打つものでありながら、言葉の効果を最大限にあらかじめ考えられて作られたものであることが多いのです。
少なくても職業歌人の作るものや、古典の名歌というものは後者の条件に沿って作られています。
人が言葉を定型に並べたものが、必ずしもすべて名歌になるわけではないことを考えてみれば、AI短歌に対する評価はおのずから決まってくると思われます。
AIの芸術への利用
AI短歌の最大限に良いところは、とにかくスピードが桁外れに早いということ、量産が可能だというところだと思います。
思い出してみると、初期には敬遠された自動翻訳なども、今では様々なシーンで当たり前に使われるようにもなりました。
音楽分野では「コンピューターの自動演奏なんて」と言われた時代もありましたが、メディアで流れる曲の殆どはデジタル演奏です。
将棋ですらトップ棋士とAIが対戦する時代、良くも悪くもAI短歌が利用されるようになる、逆に言うとAI短歌が必要とされるシーンが見い出されるようになると思います。