名月を取ってくれろと泣く子かな 小林一茶 句切れと季語 情景解説  

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名月を取ってくれろと泣く子かな 小林一茶 句切れと季語 情景解説

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名月を取ってくれろと泣く子かな 教科書・教材にも使われる小林一茶の有名な俳句の意味、季語など表現技法、句の意味の解説を記します。

名月を取ってくれろと泣く子かな

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読み:めいげつを とってくれろと なくこかな

作者と出典:

小林一茶

現代語訳

名月を「取ってくれ」とわが子がねだっては泣いている

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切れ字と句切れ

・句切れなし

・切れ字「かな」

季語

季語は「名月」 秋の季語

表現技法

・「とってくれろ」の「くれろ」は「くれる」(下二段活用の動詞)の命令形。
「くれよ」が一般的な言い方で、「くれろ」は江戸語。一種の方言と言える

・名月…秋の季語 多く十五夜の月

・かな…詠嘆の終助詞「…だなあ」「…ことだ」と訳す

形式

有季定型

 

解説

小林一茶の秋の名月を詠んだ俳句。

俳句の情景

名月は秋の季語で、多く十五夜の月をさす。

子どもが月を指して「とってくれ」と言ってかなわないために泣いたというのが句の情景である。

俳句の主題

子どもらしい無邪気な願いと姿を秋の名月と絡めて表現した句。

俳句の解釈

この句に登場するのは、月と子、そしてそれを眺めている親の三者。

共に月を見る行為は心理学では共同注視と呼ばれるものだが、この句でも幼児期のもっとも親子らしい心の通い合いと、月と親と子の三項関係とが描かれている。

心に浮かぶ2種類の月

「名月」は季語で大人の総括的な把握となるが、幼い子どもには名月との語彙はない。

子どものとらえ方で考えられるのは、「中空にある大きく丸い、明るい月」ということだろう。

そのため、この句を読むと、われわれにも子どもの視点で「名月」よりも具体的な月が描かれることとなる。

読む側は、大人の「名月」と、子どもにとっての魅力的な月との、両方を同時に浮かべることとなる。

月に対峙する親子

俳句の情景としては、親と子は親が子を背負ったり、手をつなぐなどの接近した位置関係にあるのに対して、月は見上げるべき高いところにあり、親子の位置と対置するべく、大きな空間が描き出されている。

親子は月に向かい合う形で立っている。

読み手の視点は、背後から、または斜めから月と親子の全部を包括するものとなる。

子どもの顔や、子どもの指だけではなく、一枚の絵のように大きな景色を浮かべることは、そのままその視界と共に親子とその世界を受け入れることとなる。

この句がやや創作的ながら、ほのぼのとした情感に包まれるのはそのためだろう。

句の構成

この句の語順は逆に、「名月を取ってくれと泣く子」の通り、夜空の月から子どもへの視線の移動と集約がある。

「名月を取ってくれと泣く」の形容詞節は子の一語にかかる

しかし、そこに「かな」の詠嘆がつくと、これは作者自身の詠嘆であることがわかる。

この句の読み手が上述の絵のような包括的な視点を得るのは、月と子を取り巻く親の存在と、さらにその全体をとらえる作者の視点と重なったときである。

いわば入れ子の構造となっているわけなのだが、それを形作るのはこの「かな」にかかっているといえるだろう。

一茶の俳句の感想

筆者自身のこの俳句の感想を記しておきます。

この句の情景を下のように想像しました。子を背中に背負って親と十五夜の見事な月を眺める月見をしている。親が「月だよ きれいだねえ」と子どもに見せると、幼い子どもが月に顔を向けながらしきりに何かのそぶりをする。「なんだい、なんだい、取ってほしいのかい」と親がいっている間に子どもがぐずって泣き出す。子どもが泣いたのは月のためかはわかりませんが、親子を包むかのように光を降り注いでいる月の光は、さぞ美しかったに違いありません。

小林一茶の他の俳句

雀の子そこのけそこのけお馬が通る
やれ打つな蠅が手をすり足をする
雪とけて村いっぱいの子どもかな
名月を取ってくれろと泣く子かな
おらが世やそこらの草も餅になる
菜の塵や流れながらに花の咲く
かすむ日や目の縫われたる雁が鳴く
猫の子がちょいと押さえる落葉かな
慈悲すれば糞をするなり雀の子
あこが餅あこが餅とて並べけり
鳴く猫に赤ん目をして手まりかな
麦秋や子を負ひながらいわし売り
とうふ屋が来る昼顔が咲きにけり
うまさうな雪がふうはりふわりかな
これがまあ終(つい)のすみかか雪五尺
春風や牛に引かれて善光寺
名月をとってくれろと泣く子かな
めでたさや中位なりおらが春
やせ蛙負けるな一茶これにあり
やれ打つなはえが手をする足をする
我と来て遊べや親のない雀

小林一茶について

こばやし‐いっさ【小林一茶】1763〜1828

江戸後期の俳人。名は信之。通称弥太郎。芭蕉、蕪村と並ぶ江戸の三大俳人の一人。

14歳の春、江戸に出て葛飾派の二六庵竹阿に俳諧を学びの地諸国を行脚。故郷に定住するが母や妻の死の不幸の中で21200句もの句を詠んだ。子どもを詠んだ柔らかい印象の句の他、屈折した俳句を詠んだことにも特徴がある。




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