中原中也「サーカス」鑑賞と解説  

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中原中也「サーカス」鑑賞と解説

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『サーカス』は作者中原中也の有名な代表作の詩です。

教材にも掲載される『サーカス』の詩の意味と表現技法の解説を感想とあわせて記します。

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『サーカス』とは

『サーカス』は中原中也の歌集『山羊の歌』に収録された、中也の代表作の一つです。

この詩が作られたのは佐久市が22歳の時。

発表は雑誌「生活者」に他の詩6篇と掲載されました。

後に詩集『山羊の歌』(1934)に収録されたものです。

以下が詩の全文です。味わいながら読んでみましょう。

※他の教科書の詩の解説は
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『サーカス』全文

「サーカス」 中原中也

幾時代かがありまして
茶色い戦争ありました

幾時代かがありまして
冬は疾風(しっぷう)吹きました

幾時代かがありまして
今夜此処(ここ)での一(ひ)と殷盛(さか)り
今夜此処での一と殷盛り

サーカス小屋は高い梁(はり)
そこに一つのブランコだ
見えるともないブランコだ

頭倒(さか)さに手を垂れて
汚れ木綿(もめん)の屋蓋(やね)のもと
ゆあーん ゆよーん ゆやゆよん

それの近くの白い灯(ひ)が
安値(やす)いリボンと息を吐き

観客様はみな鰯(いわし)
咽喉(のんど)が鳴ります牡蠣殻(かきがら)と
ゆあーん ゆよーん ゆやゆよん

屋外(やぐわい)は真ッ闇(くら) 闇(くら)の闇(くら)
夜は劫々(ごうごう)と更けまする
落下傘奴(らっかがさめ)のノスタルジアと
ゆあーん ゆよーん ゆやゆよん

出典 : 中原中也『サーカス』

解説

この詩の解説と鑑賞を記していきます。

『サーカス』の形式

この詩の形式は、八連構成の口語自由詩です。

中原中也の詩は57調という整った調子を持ったものが多く、この詩でも一部に用いられています。

表現技法

表現技法として使われているものは

  • 擬音(オノマトペ)・・・「ゆあーん ゆよーん ゆやゆよん」
  • 繰り返し(リフレイン)・・・上に同じ
  • 擬人法・・・「白い灯(ひ)が安値(やす)いリボンと息を吐き」
  • 比喩・・・「観客様はみな鰯」
  • 行下げ

表現の特徴

行下げには視覚的な効果があります。

「茶色い戦争」というのは、戦争という目に見えないものに、「茶色」という色の属性を与えており、こちらも特殊な表現です。

この詩はいつ書かれたか

この詩は、日本の中国侵略の発端となる満州事変の前夜に書かれたとされています。

「戦争」はそのような時局を反映しているという指摘もあります。

この詩の背景

ただし「茶色い戦争」には、もっと中原中也の私的な生活の出来事を表しているという説もあります。

それは、中原中也と恋人長谷川泰子との別れです。

恋人の相手が中原中也の友人の小林秀雄だったことから、3人の間に「戦争」に似た軋轢があったことは容易に想像ができます。

内容の鑑賞

詳しく1連ずつみていきましょう。

幾時代は過去の回顧

幾時代かがありまして
茶色い戦争ありました

幾時代かがありまして
冬は疾風(しっぷう)吹きました

満州事変前夜のことですが、この部分は古い時代を回顧する内容です。

「茶色い戦争」があって、冬には「疾風」が吹いた というのがその内容です。

けして平和ではなかった時代ということを表していますが、茶色い戦争の内容は明らかでありません。

幾時代かがありまして
今夜此処(ここ)での一(ひ)と殷盛(さか)り
今夜此処での一と殷盛り

最後の2行はリフレインが用いられています。

「今夜此処での一と殷盛り」というのは、その時代のあとの、今の華やかなひと晩ということを指しています。

そしてそれが、サーカス場であるというのがその続きです。

ブランコの登場

サーカス小屋は高い梁(はり)
そこに一つのブランコだ
見えるともないブランコだ

サーカス小屋の梁にはブランコがあるという情景の描写です。

ここにはまだ擬音は登場せずに、静止しているブランコが想像できます。

「見えるともない」というのは、不思議な表現ですが、これはやはり作者の想像であるということを作者自身が示唆しているととらえられます。

頭倒(さか)さに手を垂れて
汚れ木綿(もめん)の屋蓋(やね)のもと
ゆあーん ゆよーん ゆやゆよん

ここで初めて擬音が登場し、ブランコが揺れ始めます。

「頭倒(さか)さに手を垂れて」というのは、演技をしている人がいるということです。

「汚れ木綿(もめん)の屋蓋(やね)」はサーカス小屋はテントなので、屋根は帆布のようなキャンバス生地の布張りであるからです。

それの近くの白い灯(ひ)が
安値(やす)いリボンと息を吐き

「それ」の代名詞は屋根、またはブランコを指すものと思われます。

演技者である女性、おそらく少女のまとっているリボンがひらひらするものの、それが安っぽいというのです。

このような具体的な気づきは、想像では難しいため、作者は実際にそれをどこかで見ていたことは間違いありません。

観客様はみな鰯(いわし)
咽喉(のんど)が鳴ります牡蠣殻(かきがら)と
ゆあーん ゆよーん ゆやゆよん

この詩で一番不思議な部分です。

「観客は鰯」の意味

観客はイワシの魚であるというのですが、これはイワシが群れを成して向きを変えることを比喩的に表現しています。

ブランコが右に左に揺れるとそれにあわせて観客が視線や姿勢、頭の位置を変えるという情景です。

「咽喉(のんど)が鳴る」の意味

「喉が鳴る」の意味は、通常「ごちそうを目の前にして、ひどく食べたくなる」ことをいいます。

牡蠣殻(かきがら)はその通り牡蠣の殻のことですが、この「音」は観客の立てるざわめきや拍手の音などをあらwラス用です。

観客がかたずをのんで演者を見守っており、その動きに反応している様子を表しているようです。

落下傘奴(らっかがさめ)とは

      屋外(やぐわい)は真ッ闇(くら) 闇(くら)の闇(くら)
夜は劫々(ごうごう)と更けまする
落下傘奴(らっかがさめ)のノスタルジアと
ゆあーん ゆよーん ゆやゆよん

落下傘(らっかがさ)は、サーカス小屋のことです。

屋根の形状が傘を開いたような形をしているためです。

「奴」(め)は接尾語で意味はありません。

たとえば「犬奴」と呼ぶようなものですが、ここでは五七調のリズムを整えるために用いられています。

「更けまする」の「まする」でわかること

詩が進むにつれて夜は暗い、そして夜が更けていくという時間を告げているわけですが、この部分「夜は劫々(ごうごう)と更けまする」の「まする」は丁寧の助動詞「ます」です。

つまり、この部分「屋外(やぐわい)は真ッ闇(くら) 闇(くら)の闇(くら)夜は劫々(ごうごう)と更けまする」はサーカス小屋で述べられた口上の部分を引用していると考えられます。

サーカスの演目も夜が更けて閉じる頃となり、「夜は劫々(ごうごう)と更けまする。これにてサーカスはおしまいになります」というような挨拶が想像できるのです。

最後にサーカス小屋がノスタルジックであると作者が主観を述べています。

そして、サーカスが終わりになっているにもかかわらず最後に

…ノスタルジアと
ゆあーん ゆよーん ゆやゆよん

ブランコが揺れたまま上のような終わり方をしています。

「サーカス」の詩の意味

この詩の意味はなかなか分かりにくいですし、何を指し示すものという具体的なものを理解する必要はありません。

「ゆあーん ゆよーん ゆやゆよん」の擬音の揺らぎの感覚、作者のいうノスタルジーを感じられれば十分です。

詩の解釈

その上で、私自身の死の解釈を述べると、この詩のテーマは、やはり恋人長谷川康子との時間の回顧がテーマだと思います。

中也が17歳の時、1924年に長谷川と知り合い同棲を始めます。

その後1925年に上京、小林秀雄と知り合い、長谷川が昼夜の元を出て行って小林の元へ走ったので二人は破局します。

中也がまだ18歳のときで、「サーカス」を記した時は22歳でそれから4年が経っていることになります。

関係の継続

「幾時代」という暗い年月が経っているとはいえますが、中也はその後も長谷川と小林とも親交を続けており、不思議な関係は続きました。

この詩の後、22年に中也は長谷川泰子が出産した子どもの名付け親となり、茂樹と名前を付けて世話までしています。

なので、思い出というよりも親交が続いている相手であり、詩が生まれても不思議ではありません。

サーカスとの共通性

長谷川泰子は劇団員であり俳優ですので、舞台に立つこともあり、サーカスやその演者との共通性もあります。

「安っぽいリボン」は、実際に目にした者であり、作者の倦怠感を表していますが、長谷川への嫌悪も含んだ表現です。

作者の苦しんだ「茶色い戦争」を経て、サーカスに似た心が弾む一夜の体験があっても、そのサーカスの演目も終わってしまう。

作者にはそこはかとないノスタルジーだけが残っている、それが「ゆあーん ゆよーん ゆやゆよん」のリフレインによって表されていると考えられます。

作者 中原中也について

中原中也 なかはらちゅうや 詩人

1907年明治40年山口県生まれ 山口県内の山口中学を落第後、京都に転校。長谷川泰子と知り合い上京。1年後泰子と別離。日大予科に入学するも退学。東京外語専修科入学。修了後郷里で遠縁の女性と27歳の時結婚。長男出生するも2年後死亡。神経衰弱で入院。結核性脳膜炎で30歳にて死去。 詩集『山羊の歌』昭和9年。

『山羊の歌』は習作時代のダダイズムの詩から脱却、破滅的な生の倦怠と自意識に耐え、苦悩する魂の放浪を物語る青春譜。フランスの詩人ヴェルレーヌに心酔し、弟子のランボーに擬したため、「日本のランボー」と呼ばれた。『在りし日の歌』は昭和13年没後刊行。―出典:「日本の詩歌」より

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